今日のNHKの番組、「週刊まるわかり」であるタレントがコカインを使用した事件に関連して、コカイン中毒を特集した。
番組では、過去においてコカインを連用した人物が複数登場し、コカイン中毒の克服がどれほど難しいかを語った。
「とにかく今日一日を何とか、それなしで乗り越える。一日一日の積み重ね。頭からコカインのことが消えることは一日もない」
ある物質によって快感が得られると、脳内にその物質がトリガーとなる、一種の神経回路が形成されてしまう。
快感の度合いが強い物質ほど、強固な神経回路が形成されるから、理性でこの回路の起動を抑えようとしても大変困難になる。
コカインや覚せい剤ほどではなくても、アルコール飲料やタバコも中毒になる点では同じ。
これらの物質による快感を脳は決して忘れないから、酒でもタバコでも、いったん習慣的摂取を始めたら、それらからの完全離脱はないと考えたほうがよい。
アルコール依存症が治ったというのは、先の「一日一日の積みかせね」がうまくいっているということで、脳が快感を忘れたわけではない。
そのため、何らかのきっかけがあると、あっという間に、習慣が戻ってしまう。
中毒のもっとおとなしい例は「~好き」というものだろう。
誰しも、好きな食べ物があるが、「~に目がない」というのは言ってみればその食べ物に中毒になっているということ。
中毒という言葉が強すぎるなら、依存症でも構わないがことの本質は同じ。
食べ物に関する「~好き」はそれによって、本人の健康が著しく損なわれることもなく、法律がそれを禁止していないから問題はないわけで、中毒からの脱却はやはりかなり困難だ。
わたしの場合、食べ物で中毒といえるのは、ナッツ類。一度食べ始めたら、消化不良で気持ちが悪くなると思いながらも、なかなかやめられない。
そうなった原因は、小学生のころ、ピーナッツバターにはまってしまったことだろう。
本来は食パンに塗って食べるもの。しかし病み付きになった小学生のわたしは、もはやパンに塗って食べるのではなく、容器からスプーンですくって、直接口に運んで食べるようになってしまった。容器の中身を一気に食べてしまうということもしばしば。
当時のピーナッツバターは食塩が含まれていて、この塩味というのも中毒を促進したのだと思う。
もともと塩辛いものが好きだった上に、ピーナッツの味との組み合わせで、食べ始めるとどうにもとまらないものになった。
この悪習が断ち切られたのは、両親がわたしの習慣に気づいて、ピーナッツバターを買うのをやめたから。
そうでなかったら、悪習はもっと長く続いたことだろう。
後年知ったことだが、アメリカには、ピーナッツバター中毒者がたくさんいて、わたしと同じように、容器から直接スプーンですくって食べるらしい。
食に関して言えば、全世界的に中毒者が多いのが砂糖などの糖質中毒。糖尿病の危険を知りつつも、甘いもの、炭水化物の多い食べ物をやめられない人はいくらでもいる。
「何に中毒になるかでその人の人生が決まってしまう」というのが、わたしの一種の人生哲学なのだが、この考え方、決して間違っていないと思う。