チキンラーメンの思い出

今放映中のNHKの朝ドラ「まんぷく」は、チキンラーメン誕生の話を基にしている。

チキンラーメンが世に出て数年後のこと、当時小学生だったわたしのうちには、箱詰めのチキンラーメンが山積みになっていた。

父の職業は企業診断士。たぶん、まだチキンラーメンが全国展開する前で、会社から企業診断の依頼があったのだと思う。

その関係で、箱詰めのチキンラーメンが大量に家に届けられ、両親が共働きで、帰宅が二人とも遅かったため、わたしと弟が学校から帰って、まずすることといえば、このチキンラーメンをどんぶりに入れて、お湯をかけること。

朝ドラでは、チキンラーメンの考案者は、誰もがおいしいというまで、麺の味に妥協しない姿勢を示していたが、正直、わたしにとっては、チキンラーメンの味はそれほどおいしいものではなかった。

あんまりおいしくもないものを毎日食べなければならない羽目になり、家に帰って、山積みのチキンラーメンを見るたびうんざりしていた。

そのうち、お湯をかけて食べるのも面倒になり、乾燥した麺をそのままバリバリかじって食べるようになり、途中で、食べるのに飽きると、残りを食べもせず、そのままゴミ箱に捨てるということもした。

で、そのときに思ったのは、この後一生、チキンラーメン食べるもんかということ。

その後、後発のメーカーがさまざまな味のいわゆるインスタントラーメンを発売するようになり、チキンラーメンはわたしにとっては完全に過去のものとなっていった。

月日は流れて、大学生となったわたしは、東京で下宿暮らしをするようになった。

そのころ、チキンラーメンの会社はカップヌードルという新製品を売り出していた。

下宿している大学生にとって、調理の手間がかからないインスタント麺は大変重宝だ。

特にカップヌードルは他のインスタントラーメンと違って、麺をゆでる手間さえ要らない。

というわけで、ものめずらしさもあって、カップヌードルを買って食べてみることにした。

カップのふたの部分を半開きにして、沸騰したお湯を注ぐ。ふたの部分を元に戻して、何かを重しにし、ふたを押さえて数分で出来上がり。

一口食べて、しまったと思った。朝ドラでは、カップヌードルはこれまでにない画期的な味というような設定にされていたが、わたしにとっては、これはかつて食べ飽きて、二度と食べないと誓ったあのチキンラーメンの味そのものだった。

具として添えられた卵やシュリンプなどは確かに彩りとしては綺麗だったが、大しておいしいものではなく、一回食べて、チキンラーメンのときと同じく、二度と食べないと誓いを新たにした。

カップヌードルを製造していた会社はその後、新製品として、カップライスなるものを売り出した。

カップヌードルで失敗したにもかかわらず、やはりものめずらしさから、カップライスを買ってみることにした。

何しろ、カップヌードルと同じく、カップにお湯を注ぐだけで、ピラフができるという触れ込み。

ほんまかいなと思いつつ、下宿でカップにお湯を注ぎ、待つこと数分。出来上がりは予想を超えるほど、本物のピラフに近かった。

食感や味には、多少の不自然さがあったが、手間をかけずにご飯物が食べられるのはわたしにはありがたかった。

というわけで、それからというもの、日曜や祭日には、出不精だったわたしは、その日の3食ともカップライスのピラフになってしまった。

食べ終わって不要になったカップライスの容器が部屋の隅に山積みになっていった。

個人的にブームになったカップライスは一般にはそれほど人気が出なかったのか、新発売からしばらくすると、店頭からその姿が消えた。

一方、カップヌードルやさらにその前の、チキンラーメンはいまだに店頭に並んでいて、その人気の根強さには感心させられる。

しかし、かつての誓いは今も生きていて、おそらく、わたしは今後もチキンラーメンカップヌードルも食べることはないだろう。