羽化をはばまれた夏 3

書きかけのまま、随分間が空いたが「羽化をはばまれた夏」の結末を書いておくことにする。

虫かごに入れてセミを飼うというのは、実際にはほとんどできないことだ。

脱脂綿に砂糖水を浸み込ませて虫かごに入れておくというようなことが、昆虫飼育の本などに書いてあったように思うが、そんなことをしてもセミがその脱脂綿に口吻を差し込んで砂糖水を吸うことはない。

当然の結果であるが、虫かごに入れたセミはその日のうちに死んでしまった。

なんとも残念な結果に、そのセミの亡骸を捨ててしまうことができなかった。

亡骸を当時流行っていた栄養ドリンクの円柱形容器に入れた。栄養ドリンクはその頃、ガラス製のアンプル容器に入れられて、ガラス容器を保護するため、さらに透明のプラスチックの円柱形の容器に入れて販売されていた。

そのプラスチック製の容器に死んだセミの亡骸を入れた。容器は昆虫採集用の数々のグッズを入れた段ボールの箱の中に。

そのため、昆虫採集をして、段ボール箱の中にあるものを取り出そうとするたびに死んだセミの亡骸を目にすることになった。

目にするたびになんともいえない感情が湧き上がった。眼障りといえば目障り。ならば捨ててしまえばよいのにそれもできない。

たぶん、ちゃんとしたセミの標本できなかったことで、無駄に死なせてしまったセミに申し訳ないという思いがあったからだろう。

セミの亡骸は私が小学校を卒業して、もう昆虫採集をしなくなった頃まで数年以上、段ボールの箱の同じ場所に留まったままだった。

英語で忘れてはいけないことを思い出させるために身に着けたり、とって置いたりする物のことを'reminder'と呼ぶ。

過去における失敗を繰り返さないための物も'reminder'は使われる。私にとっては、このセミの亡骸がまさしく'reminder'となった。

しかし、羽化直後の縮んだ羽根がなぜ伸びなかったかの理由がわからなかったから、失敗の反省にはならない。

ただもう、セミに対して申し訳ないことをしたという後悔の念が湧き上がるばかり。

「生き物の死に様」を読んで、やっと失敗の原因がはっきりした。

羽化直後のセミは触らずに、そのまま羽根が伸びるまで待たなければならなかったのだ。昆虫少年だった時から半世紀以上たち、ようやく反省すべきことがはっきりした。

もし今、羽根が伸びるのに適切ではない場所で羽化してしまったセミを見つけたら、適切な場所を探してその場所まで持って行ってやろうと思う。

そうすることで羽根が伸びずに死んでしまったセミの供養にでもなればと思う次第だ。

季節は春本番。もうすぐまたクマゼミが鳴く夏がやってくる。