楽観バイアス

26日の夕方、テレビのニュース番組で、ある交通事故のことを伝えていた。
帰省途中の家族が乗る車に、大型トラックが追突。家族のうち、父親と子供2人が亡くなるという悲惨な事故だった。
ニュースによると、車は走行車線に停止していて、そこに後から来た大型トラックが突っ込んだらしい。
事故現場は高速道路が通る大きな橋の上。何だって高速道路の走行車線で停止したのか理由がわからなかったが、27日の読売新聞夕刊に、小さな記事が出ていて、それによると、事故当時に、車を運転していた女性の話として、「アクセルを踏んでも進まなくなった」ということだった。
この記事を読んで、私自身の何十年も前の出来事を思い出した。
その出来事とは、H高速を走行中のこと。その当時はO市の中心部に行くには、この高速を利用するのが手っ取り早かった。
高速料金はさほど高いものではなく、一般道の渋滞を避けて市内中心にアクセスできるので、頻繁に利用していた。
料金所を過ぎて車を一気に加速。高速道路走行の爽快感を感じている時のことだった。
車が急に減速しだした。アクセルペダルをいくら踏んでも加速しない。その時、車は追い越し車線を走行中だったが、車が減速しだしたので、追い越し車線の後続の車が左から追越をかけ始めた。
危険なので、車線を変更して、走行車線に移ろうとしたが車はどんどん減速。その瞬間あることに気が付いた。
当時は、ガソリンの消費と、走行距離に関心があって、今で言うエコランを心がけていたので、いつもより、ガソリンの消費がやけに少ないことに気が付いていた。
高速に乗るときに、燃料計は、まだ燃料に余裕があると示していたが、走行距離計からすると、もうとっくに給油の時期だったのだ。
ちょっとおかしいと思いながらも、今回はエコランがいつもよりうまく行ったのかもしれないと思って、そのまま高速に乗ったのだが、これが間違いだったのだ。
燃料計が故障していて、ガス欠になってしまったのだ。
一瞬の判断で、車のギアをニュートラルに入れた。その時走っていた場所から少し先に高速道路脇の退避スペースがあることを知っていたので、惰性で走らせれば何とかなると判断したからだ。
しかし、車が惰性で走れる距離など知れている。車はどんどん減速。何台もの後続の車がクラクションを派手に鳴らしながら、右側を猛スピードで走り抜けていく。
もう生きた心地がしなかった。
車はよろよろとした足取りで、ようやく退避スペースに入った。そして完全ストップ。
1cmも動かなくなった。
幸い、大きな事故にはならなかったが、ちょうど都合のいい場所に退避スペースがあったからいいようなものの、ちょっと場所がずれていたら、車は走行車線上で完全ストップしていただろう。
そうなっていたら、一体どうなっていたか。今考えても恐ろしい。
このときの体験は、人間は自分に都合のいいように事態を理解しがちだということを私に教えた。
いつもなら、給油しなければならない時期が来ているのに、燃料計の指示がおかしいと思わず、燃料節約運転がうまくなったからだと、自分に都合のいいように解釈。
そのため、高速道路を走行中にガス欠になったらどんな恐ろしいことになるかという想像がまったく働かなかったのだ。
都合の悪いことは考えないようにする習性を楽観バイアスと呼ぶそうだが、このバイアスを逃れて、危険を事前に察知するには、それなりの体験が必要なのかもしれない。