ゼロの神話7

今、私の手元にゼロ戦に関する雑誌が4冊ある。出版時期は異なっており、それぞれ、1979年3月、2007年6月、そして、2013年7月出版のもの2冊だ。
新しい出版の2冊は宮崎駿の最新アニメのヒットにあわせたものだろう。
これら4冊の雑誌、何れもがゼロ戦を傑作戦闘機として、礼賛している。ただゼロ戦を礼賛するに当たり、事実を誇張、歪曲するのはいただけない。
4冊の雑誌のうちの一冊のゼロ戦のエンジン、栄に関する記述は次のようなものだ。

零戦に積まれた「栄」は、試作機から二一型までが、過給機が1段1速の「栄」一二型を搭載。その後過給機を切替式として、空気の薄い高空でも高出力を維持できる1段2速式とした。離昇出力1130馬力の「栄」二一型が開発され、こちらが主力となる。
「栄」シリーズは全部で3万3000基以上も製造された。
しかし、この完成度の高さのゆえに、「栄」は二一型の時点でほとんどパワーアップの
余地がなく、大戦後半に連合軍の戦闘機が2000馬力級のエンジンを搭載してくると、零戦は苦しい戦いを強いられることになる。

どのような工業製品であれ、完成度が高いから、さらなる改善の余地がないなどということはない。要するに改善するだけの工業力がなかっただけなのだ。
中島飛行機製作の栄も、日本オリジナルの設計ではなく、Hさんの話にもあったように、アメリカの旅客機DC-3に搭載されていたエンジン、P&W R1830を参考にして設計されたものだ。P&W R1830は出力1200馬力。F4Fはこのエンジンを搭載していた。
栄一二型はP&Wのエンジンより、やや小ぶりに作られており、その分馬力も940馬力と、控えめになっている。
エンジン出力の向上は喫緊の課題であったから、一二型よりやや大きい、栄二一型になってようやく、R1830と同等のパワーを得るに至る。
しかし、その間に、P&W社のエンジン開発はさらなる進化を遂げ、F6Fに搭載されたエンジン、P&W R2800-10Wは出力2000馬力となっていた。
日本が、エンジンのパワーを200馬力上げる間に、アメリカは、800馬力も上げてきたのだ。Hさんの話にあったように、技術格差は縮まるどころか却って開いてしまっている。
日本でも2000馬力級のエンジンをということで、誉(ほまれ)というエンジンが開発されたが、いかんせん、低い技術力ため、実用に耐える2000馬力級のエンジンとはならなかった。
1000馬力超のエンジンを開発しようとしたが果たせず、940馬力という出力で欧米の1000馬力を越すエンジンを搭載した戦闘機に対抗すべく、軽量化という方針で開発されたのがゼロ戦だ。
戦争が進むに連れ、エンジンの出力の差が開いてしまった以上、ゼロ戦の基本設計方針を替えることできなかったに違いない。