知性が大事#33

進学予備科の生徒たちの国籍は前のクラスよりずっと国際的だった。
ドイツ、スイス、韓国,中国、マレーシア、ベトナム、そしてタイ。このクラスでもタイの生徒の数が一番多く、半分近くいたと思う。
授業の内容は文法的なこと、それから新聞記事などのリーディング。リーディングは単に内容を通読して、意味を確かめるといったものではなく、内容に関する自分の意見を発表するというもの。
そして、あるテーマに関して、意見を戦わせる授業など,なかなか盛りだくさん。
それぞれの授業で今もよく覚えているものがある。
まずは文法の授業での小テスト。よく日本人は会話は苦手だが、文法的なことはよく知っているなどといわれるが、それは日本人による日本人のための文法問題に限っての話。
日本人が不得意とする分野での出題はからっきし駄目。
その日は冠詞と「つなぎ語」というような分類がされているフレーズに関する問題だった。
今でも冠詞について、すべての用法をネイティブ並に理解はできていないが、その当時の私の冠詞理解はほぼゼロといってよかった。
あるひとまとまりの文章のあちこちが空白になっていて,その空白に不定冠詞,定冠詞、無冠詞複数形、無冠詞単数形のいずれかを入れるという問題であったが、20余りある空白のうち、正解がひとつかふたつという体たらく。
冠詞の働きが何も分かっていないのだから,正解した箇所についても唯のまぐれ。
さらに、つなぎ言葉の問題。つなぎ言葉の例を挙げると"on the contrary, after all, to tell you the truth"などといった日本人が大好きなフレーズだ。
日本人はこうしたフレーズを会話や、文のはじめに盛んに用いるが、その使い方がたいてい誤っている。
多分、その事を知ったうえでの問題なのだと思うが、その当時は,私も日本で覚えこんだ誤った訳で問題を解こうとしたため、"after all"と"on the contrary"がどこに入るのかどうしても分からなかった。
この問題の意地悪なところは,空白の数より,選択すべきフレーズの数がはるかに多く,順番に空白を埋めていけば,残りは簡単に選択できるというようなものではなかったことだ。
この問題に関しても結果は散々。文法的なことなら何とかなるといった自信は木っ端微塵に砕け散った。
自信喪失後のある日、リーディングの教材として新聞記事が選ばれた。生徒たちが一通り内容に目を通したと思われる時間が過ぎ、スコットは記事の内容をどう思うかとみんなに質問した。
私はこの記事を一読して直ぐに内容に胡散臭さを感じ,丹念に記事の論理構造を検討した。導入部分は誰も反論できないような正当な内容で始まるのに、途中に論理のねじれがあり、そこから結論の部分につながる構造になっていた。
つまり、結論部分を正当化するため巧妙に論理をねじ曲げたわけだ。
しかし他の生徒たちは内容になんら疑問を持たなかったようで,スコットの質問に対して,いろいろな意見を述べるだけだった。
私の番が来て、真っ先にその文章の非論理性を指摘すると,スコットはとても満足そうな顔をした。
彼は、一見論理的な内容でありながら,論理を捻じ曲げ誤謬に導く文章は少なくない。そうしたものを一発で見抜くだけの知性が大学に進学しようとするものには必要なのだと述べた。
文法問題で木っ端微塵になった私の自信は,この一件で、形を取り戻した。