お父さん、チャレンジしていいでしょう

表題は今朝のNHK朝ドラのある場面で、主人公マッサンの娘、エマが父親に対して発した台詞。
終戦から3年が経ち、エマは25歳になっていた。進駐軍の基地で、タイピスト兼通訳として働いていたが、上司から本国アメリカで今よりもっとやりがいのある仕事をして見ないかと誘われる。
本国での仕事を得るには、書類選考などを経ないといけないのだが、その申し込みをする前に父親の許可を得ようとして表題の台詞を言った。
しかしこの台詞に、私はかなりの違和感を覚えた。理由は二つある。
まず、時代背景。終戦から3年経っているということは1948年と考えられる。しかし、この当時に「チャレンジする」というような言葉が一般的だったとは考えられない。
私の記憶では、1948年から16年がたった東京オリンピックの年、1964年当時でも「チャレンジする」というを言葉を耳にしたことは無い。
「挑戦する」の代替語として「チャレンジする」が使われだしたのは、東京オリンピックからさらに10年以上経ってからではないだろうか。
違和感を持ったもう一つの理由は、「チャレンジする」の意味だ。
この言葉の意味は、「達成困難と考えられることを思い切ってやってみる」ということだから、この台詞が使われた状況には、ちゃんとあっている。
しかし、英語の動詞"challenge"には、日本語の「チャレンジする」の意味は全く無い。
このことは以前(2013年の「外来語1〜3」)に記事にしたことがあるので、改めて説明はしない。
エマは他の仕事ならともかく、通訳としてこれからやっていこうというのである。
そういう人物が例え日本語でも、英語のchallengeとは似ても似つかないカタカナ語のチャレンジを不用意に使うというのが違和感の原因だ。
私自身は、「チャレンジ」に限らず、英単語が由来のカタカナ語は使わないようにしている。
とっさの判断が要求される通訳の現場では、カタカナ語の影響がでてしまうかもしれないのでなおさら注意が必要なはずだ。
大体「チャレンジする」などという言い方をしている通訳がいたとしたら、その通訳はほんとにちゃんと仕事ができるのかという心配がある。
英語の"challenge"の意味が日本人に理解されにくいのは、この単語の一番根本にある意味に相当する日本語が無いことに原因がある。
一番根本にある意味とは、英々辞典風に書くと、"to do something to deny the authority of someone or the validity of something"ということ。
訳すと、「ある人物またはあることに関する正当性を否定するためになにかをすること」となるが、これを日本語の単語で表現することは出来ない。
日本語になくても、英和辞典には、何か単語で意味を示す必要があるので、「挑戦する」が当てられているが、これが適訳になる場合はあまり無い。
かくして、"challenge"の正しい意味理解は出来ないまま、「チャレンジする」が「挑戦する」の代替語として、日本語のなかで蔓延してしまったわけだ。
ドラマでは、「チャレンジしていいでしょう」ではなく、単に「応募していいでしょう」と日本語の台詞にすればいいものを、なまじ、エマが英語に堪能というところを示そうとしたのか、カタカナ語を使わせたことで、台詞を担当した人物の英語力の無さを露呈させてしまったといえる。