絶滅種#4

同じ年代の男性の場合、ファンが多い野球について、もう少し言及すると、先日の記事で、「プロ野球の中継は全く見ない」と書いた。
では、野球でも高校野球はどうかというと、最近はプロ野球と同じく、見なくなってしまったが、夏の甲子園大会は良く見ていた時期がある。
プロと違って、エラーが多い高校野球は予想外の事態が起こりやすく、これが私にはおもしろく感じられた。
自分の住んでいる地域の高校を応援するというのではなく、どの試合も同じような関心を持って見ていた。
高校野球を見なくなった理由はいくつかあるが、そのひとつはもうこれ以上の試合は二度とないだろうという試合を見てしまったためだ。
その試合とは、1979年の甲子園大会、箕島対星陵のことだ。
今も、その大試合振りが語り継がれるが、見ている側の予想をこれほど裏切る場面が多い試合もなかった。
全18回をフルに戦い抜く、3時間50分も長さを全く感じさせないものだった。
試合が終わった後、私は「もう、この試合を超えるものは出ないだろう」と感じ、その試合以降は高校野球をほとんど見なくなってしまった。
あの試合から、36年が過ぎ、数々の試合が戦われただろうが、実際、箕島対星陵を超えるほどの試合はあったのだろうか。
もうひとつ、高校野球に関心がなくなったのは、金の力で有力選手を全国から集めるような高校が、優勝校の常連に名を連ねるようになったからだ。
プロ野球選手になるためのひとつのステップとしての甲子園というのが現実なのだろうが、「○県代表校」といいながら、地元出身の生徒がほとんどいないなどというチームもあり、このあたりの違和感が高校野球への興味を急速に失わせた。
プロ野球への興味は高校野球よりずっと以前に、早々と失われたが、チームプレーが嫌いということ以上に、プロ野球という、大人の世界への不信感があったように思う。
詳しく書くと長くなるので、やめにするが、その不信感の契機なった試合のひとつがいわゆる天覧試合。
もうひとつが1961年の日本シリーズ。円城寺なる名前を聞いてピンと来る人は相当のオールドファンだろう。
細かい説明は省くが、今の年になると、ああいうことも「大人の事情」ということで一応の納得がいくが、当時、まだ子供だった私には、醜い大人の汚い側面としか映らなかった。