同級生K君の思い出 1

悲しい出来事に涙するということで思い出したことがある。それは小学5年生のときに同級生だったK君のこと。

以前にブログの記事にしたことがあるのではと検索をかけてみたが記事にはしていなかったので、今回、記事にしてみる事に。

K君はいじめられっ子だった。家庭が貧乏だったのか、年中同じ服装。上着の袖口はテカテカと光沢を放ち、襟のところはボロボロ。

こんな状態だから、近づくとなんとなく臭かった。

家計を支えるため、毎日、登校前に新聞を配っていたようだ。今では考えられない事だろうが、小学生が家計を助けるために新聞配達をするというのは、当時はまだあったことだ。

うわさでは、学習机を買う余裕がないため、りんご箱を机代わりにしているという話。

りんご箱を机に?

当時のりんご箱は木の板でできていたので、結構丈夫。捨てずに取っておいていろんな用途に使ったものだ。

クラス中が汚らしくて臭い彼を遠ざけ、あざけっていた。そういう私もその一人。いや、むしろ率先していじめていたとさえいえる。

あるとき、担任のT先生が何が理由だったのか忘れたが、ぶちきれて、クラス全員を教室の端に立たせるという事態が起きた。

それもただ立たせるのではなく、成績順に立たせるという仕打ち。

旧制中学や女学校では、定期考査の成績を廊下に張り出すというのは普通に行われていたようだが、小学校でこれを行うのは当時でも異例の事。今なら児童虐待とみなされるかもしれない。

クラストップから3位ぐらいまでは、クラスの誰もが認める成績優秀者たち。

その次の4位だったか、5位だったかは忘れたが成績優秀者たちの次に私の名前が呼ばれた。

私はこの位置であることに一種の誇りを感じた。成績優秀者たちは恵まれた環境で、当時はまだ珍しかった塾に通っていたり、家庭教師をつけてもらったりしていた生徒。

勉強ができて当たり前。私はというと、毎日がハックルベリー・フィンの世界に遊び、家庭学習などしたことがなかった。

それでもガリ勉たちに次ぐ成績。実のところ、私は上位に位置するガリ勉たちを内心では「勉強しか能のないやつら」と馬鹿にしていた。

懲罰として立たされる場面なのに、私は意気揚々と自分の立ち位置に立った。

そして私の次に名前が呼ばれたのが、K君だった。

これには驚いた。うわさで聞いていた彼の日常からは勉強に充てる時間などないに決まっている。それどころか、家庭内にまともに勉強できるスペースもないだろう。

それでも私に次ぐ順位の成績を上げている。

性格の悪い私は彼の成績は正当なものではないと考えた。悪い事に彼の席は私の真後ろだった。

「テストのとき私の答案をカンニングしたに違いない」そう考えた私は、ある行動に出た。

ある日、なにかの科目のテストが行われた。そのとき私はわざと自分の答案が彼の席から簡単に見えるようにテスト用紙をずらした。

そして、答案を提出する時間になったとき、後ろの席に近づき、K君の答案を無理やりひったくった。自分の回答と照合するためだ。

しかし、カンニングだとは言い切れない答案にちょっとがっかりした。

無理やり答案をひったくられてもK君は特に怒りもしなかった。

その彼に私は「そのうち、尻尾をつかんでやるからな」という捨て台詞を吐いた。

なんという嫌な性格だろう。われながらあきれる。