同級生K君の思い出 8

小学校は引越し前の学校を卒業したが、中学校は当然ながら引越しした後の地元の中学に通った。

去る人日々に疎しというが、顔を見なくなった人の場合、その人とのかかわりなどは急速に記憶がうせていく。

小学校卒業後、K君のことを思い出すことはついぞなかった。

月日は流れて30年以上。40歳代となった私はインターンシッププログラムというものに参加した。

外国の小学校、中学校、高校などで日本の文化、風俗などを紹介する授業を持つというプログラムだ。

私が派遣先として選んだのはオーストラリア。このプログラムに関するエピソードは本ブログに、「知性が大事」というタイトルで2015年に48回シリーズとしてアップしている。

オーストラリアの滞在中は地元の高校、カタンニン高校の先生の自宅にホームステイした。

ホームステイは10家庭以上。1週間程度の短い滞在もあれば、1ヶ月以上に及ぶ長い滞在も。それぞれに深い思い出ができた。

滞在期間が終わり、次の滞在先に移るときにはいつも感極まるものがあった。

オーストラリア滞在を終えて帰国。帰国後、民放のある番組を見ていて、思わず目が釘付けになった。

番組名は「ウルルン滞在記」だったように思う。タレント、芸能人が外国の家庭に滞在し、その地で様々な体験をするという趣旨の番組。

学校での授業がない点は異なるが、私の体験とかなりの部分で似ている。

ホームステイを終えて、帰国という段になると出演していたタレントのほとんどが涙を流した。

番組名の「ウルルン」の部分は涙を表す擬音語だったのだ。

出演者がそれまで一緒すごした家族と別れるシーンは、まるで自分がその場にいるような錯覚を起こた。別れのつらさが身に沁み、目頭が熱くなった。こうした感情が自分に起きたことにちょっと驚いた。

そして思った。「そういえば小学5年生のとき以来、泣く事は一度もなかったなあ」

この「小学5年生」と「泣く」というキーワードで突然、5年生のときの出来事が一気に記憶の底からよみがえった。

忘れたと思っていたことが、ひょんなことからありありと思い出されることがある。まさにこのときがそうであった。

涙もろいK君や、ヒーローT、そしてその取り巻き連。彼らとの係わり合いが鮮明に思い出された。

そして、K君の涙が、やはり、自分の体験に基づく共感がもたらすものだったと確信した。

小学校卒業から実に30年以上が経過し、このときようやく、「安寿と厨子王丸」のアニメを見て、滂沱の涙を流したK君の心境に少しだけ近づけたような気がした。