読売新聞夕刊の「発言小町」、9月4日のタイトルは「愛犬の死を悲しまない同棲の彼」。
トピ主の投稿内容は次のようなもの。
愛犬が亡くなったのに悲しんでくれない
14年間寄り添ってくれた大好きな愛犬が病気で天国に行き、とても悲しいです。でも1年半前から同棲する彼は、その間愛犬と過ごしていたのに、あまり悲しくなさそう。
病気を報告したときは泣いている様子でしたが、死んだときも特に泣きはせず、その後寝室でいびきをかいて寝ていました。私が泣いていても支えてくれないし、明るく生前の話をしても無視するか、話題を変えます。彼は私の愛犬を愛していなかったのでしょうか。
これに対するレスのいくつかが下記のもの。
トピ主さんにとって14年来の大切なワンちゃんでも、彼にとっては1年半。その間に14年分の愛情を彼がはぐくめなくても許してあげてください。あなたがあまりにも深く悲しんでいて、彼は自分も関わると沈痛な気持ちになるからと、離れていたのかもしれません。(犬猫みんな好き)
男性は一緒に気持ちに寄り添ってくれたり、悲しんでくれたりすることが少ないような気がします。あなたのことをかわいそうだなあと思っていたとしてもです。愛犬の話を無視され、話題を変えられるのは、話すとあなたが落ち込むのがわかっているからです。悲しい思い出話をして、あなたを悲しませたくないのですよ。(レイ)
私が問題だな、と思うのは、トピ主さんが感じるように、やはり彼がトピ主さんの悲しい気持ちをわかっていないなところです。思いやりがないなぁとおもいますね。彼自身は悲しくなくてもいい。でも、トピ主さんのそばにいて話を聞くとか、慰める事はできると思うのですが、その彼とのお付き合いはちょっと考えものですね。(犬好子)
いくつかの反応の仕方だけでそのレスを投稿したのが男性か、女性かがわかる。
二番目のレスにあるように、男女には共感力とでもいうものにかなりの差があるように思う。
これは個人差もあるし、年齢によるものもあるが、総じて男性の他人に対する共感力は、女性のそれをかなり下回ると思う。
私がその彼と同じ立場だったとしたら、やはり、同じような態度をとったと思う。
私自身、他人に対する共感を自分でももてるようになったと思ったのは50歳を過ぎた頃からだ。
男性の場合、いくつもの試練や悲しい経験を積み重ね、折々の場合の他人とのふれあいの中で、共感力を学習していくものだと思う。
たぶん、まだ若いトピ主の彼にそれを求めても無駄だということだ。
話題を変えるということは、トピ主への優しさの現われというレスは楽観しすぎ。
かといってこういう彼との付き合いは考えものというのもいいすぎ。そういってしまっては付き合える男性の数が激減してしまう。
男とはこういうもんだぐらいの認識が必要かと。
ところで、いくつかあるレスにはまったく触れられていないが、彼はひょっとして悲しくても涙が出ないタイプかもということ。
どういうことかというと、男性の多くは、小さい頃、特に母親から「男なんだから、簡単に泣いたりするな」的教育を受けている事が多い。
下手に涙なんか流そうものなら、単なる言葉以上の怒声を浴びたり、挙句は平手打ちが飛んできたりする。
こんな状況で育った男の子はそのうち、悲しくても泣かなくなる。自己防衛反応の一種だ。
ちなみに私自身、小学校5年のときに泣いて以来、50年以上、悲しくて泣いた事がない。
感情が鈍磨してどんな場合にも悲しいという感情がわかなくなったわけではない。
現実の状況でも、映画や小説でも悲しい場面では悲しくなる。でも涙は一滴も流れない。
涙腺が壊れた?
それも間違い。私の場合、涙が出るのはおかしい時。笑うと必ず、涙がこみ上げてくる。
悲しいときに泣けなくなったことを補うかのように、盛大に流れる。
ついでに言うと、あくびをしたときも必ず涙が出る。こちらは感情の起伏とは関係ない生理的なもの。
うまく泣けないというのは男性でも少数派?
だいぶ以前のテレビ番組で、ある男性歌手が悲しいときでもうまく泣けないということを吐露していた。
ああ、やはりこういう男性がいるのだとそのとき思った。こわもての印象のある男性だと、たぶんほとんどそうなのかもしれない。
トピ主の彼が同じタイプかどうかはわからないが、涙を流さないイコール悲しんでいないと思うのは正しくない場合があるということは覚えていたほうがいい。 そのあたりのことに言及したのが次のサイト。