同級生K君の思い出 2

K君には、服装がみすぼらしいとか、ちょっと臭いとかいった外から分かる特徴ではなく、ほかのどの生徒とも違う特徴があった。

それはとても涙もろいということ。それも、ちょっとやそっとの涙もろさではない。

小学生でも、悲しくなれば、涙を浮かべるぐらいのことはする生徒はいるだろうが、K君の場合、そんな程度の涙ではなかった。

私が小学生だった頃は、どのぐらいの頻度かは忘れたが、時折、映画鑑賞の時間があった。

教育の一環ということで、小学生が見て、ためになる情報を扱ったものや、情操教育というのだろうか、感動的な物語の映画を、全校生徒を集めた講堂で上映するのだ。

上映される映画の中には、悲しい場面のものもある。そうした場面になると、必ず、K君は涙を流すのだ。それも半端な流し方ではない。

涙を流す前には、「うっ、うっ」という搾り出すような嗚咽を漏らす。泣くまいとする気持ちと、それを上回る悲しい感情のせめぎあいの中で出てくるものだったのだろう。

悲しい場面がしばらく続くと、嗚咽の末に堰を切ったように「おんおん」と声を上げて泣き出す。

流れる涙は滂沱の涙。当時は、小学生が必ず携帯しなくてはいけないものにハンカチがあったので、K君は自分のハンカチで涙をぬぐうのだが、そんなものでは、ぬぐいきれないほどの涙。

で、ほかの男子生徒はというと、悲しい場面でも所詮は画面の向こう側のこと。自分のこととして捉えるほどの経験などないから、何も悲しくない。

かくして、K君の涙も格好のいじめの対象となっていた。

あるとき、この映画鑑賞の時間に東映のアニメ、「安寿と厨子王丸」が上映された。

上映開始から程なくすると、どうやら悲しい内容の話だと、生徒たちは気づく。

すると、私を含めた男子たちの頭には、「こりゃ、きっとKがまた泣くぞ」という考えが浮かぶ。

悪い人買いにさらわれ、山椒大夫という人物に売り飛ばされた安寿と厨子王

奴隷といっていいような日々の暮らしが始まる場面あたりから、K君の嗚咽が始まった。

「そら来た」とばかりの周りの悪童たち。私はK君の座席から2列ほど前の席に座っていたが、後ろに身を乗り出して、K君の周りの生徒と一緒になって、「Kよ、悲しい場面だぞ。はよ、泣かんかい」などといって、まだ嗚咽段階のK君のまぶたを無理やり剥いて、泣くことを強要した。

今となってはK君には本当に申し訳なかったと思うのだが、悲しい話だからといって、人前で涙を流すのは、弱さの現われとしか考えないほかの男子生徒の前で涙を流せば、それがいじめるためのいい口実になるのだ。

物語はそれでも進んでいき、最後の厨子王と母親の再会の場面ともなると、K君の顔は、涙と鼻汁でベチョベチョ。ハンカチではぬぐいきれないので、上着の袖口でそれをぬぐう。

もともと綺麗ではないコテコテ、テカテカの袖口が涙と鼻汁でベチョベチョ。

こうなると、もう誰もK君をいじったりしなかった。ベチョベチョが手にでもついたら汚らしいからだ。

かくして、K君は、泣きたいだけ泣ける状態となった。おんおんと泣くK君に、ほかの男子生徒はややしらけ気味。

そうした雰囲気の中で「安寿と厨子王丸」の上映は終わった。