阿鼻叫喚の声

毎年、この時期がくると思い出すことがある。
思い出したくもないのだが、ニュース番組であることが報道され、いやおうなく思い出してしまうのだ。
あることの報道とは、K駅の近くで、終戦間近の8月14日の爆撃でなくなった人たちのための追悼式が行われたというものだ。
追悼式は、毎年、8月14日に、K駅南口近くに建立された釈迦像の前で行われる。
そして、この報道により、私が思い出してしまうのは、次のようなことだ。
もう17,8年前のことになると思うが、K駅近くのコミュニティセンターで、毎週土曜日に、当時所属していた英会話サークルの活動に参加するため、時々はK駅を利用していたころのことだ。
いつもは車を利用していたので、K駅を利用することはなかったのだが、K駅南口近くに、トンボ玉を扱う店があることを何かで知って、活動時間より、早めにK駅にやってきた。
サークルの活動は夕方の6時から。南口に降り立った時間はそれより1時間以上早く、あたりはまだ十分に明るかった。
K駅の南口を降りると、その正面は、N川の堤防だ。堤防に沿って、東西に道路が走っていて、トンボ玉の店は、駅の南口を右側、つまり西側に、少し行ったところにある。
道路沿いの歩道を店の方向に進んでいくにつれ、だんだんと胸が苦しいような感覚になってきた。心臓の鼓動が早くなっていくのが、はっきりと感じられた。
サークルの活動に参加するため、それまでにも、K駅南口は、何度も使ったことはあったが、サークルの活動のときは、南口から、左側に少し行ったところにある橋を渡って、その少し向こうにあるコミセンに向かうので、右側方向に行くのは、このときが初めてだった。
南口に降り立って、この右側方向を見ると、以前から、理由は分からないが、いやなものを感じて、そちら側へ行くことはなかった。
今まさに、その方向に進んでいくにつれ、いやな感じは、はっきりと不安へと変化し、胸の鼓動がどんどん早くなる事態となった。
目の前に、K駅から伸びるK線のガードが近づいたとき、もう一歩も動けなくなり、その場に立ちすくんでしまった。
頭の中には、大勢の人が血だらけの状態でうめき苦しんでいるイメージが現れ、以前に、そのガード近くの場所で、同時にたくさんの人が亡くなったのだと直感した。
駅の近くで大勢の人が亡くなる。これはきっと、K駅構内で列車の脱線事故が起きたのだろうと思った。
立ちすくんでいるそのときに、ふと右手のほうに目をやった。
そちらの方向に、K線沿いに細い路地があり、その路地の突き当たりに、何か仏像のようなものがあるのに気がついた。
何でこんなところに仏像が。私が不安を感じたことと何か関係があるかもしれない。そう思って、その仏像のほうに近づいていった。
すると、それは、御釈迦さんの銅像で、銅像建立の縁起が銅像の左側に書かれてあった。
それを読んで、終戦の直前、駅に爆弾が投下され、大勢の人が犠牲となったことを知った。
釈迦像の前で、手を合わせ、その場を離れた。しかし、目的地のトンボ玉の店には、このときは行くことができなかった。K線のガードをどうしてもくぐることができなかったからだ。