チャレンジ&アドベンチャー

今回もまた「マッサン」のなかの台詞から。
表題の言葉はドラマのヒロイン、エリーがマッサンの甥の悟(さとる)を前にして発する台詞。
17日と18日のドラマの台詞に続き、違和感満点のこの台詞。いい加減何とかならないのか。
エリーはスコットランド出身の英語ネイティブ。英語challenge(動詞)の正しい意味を知っているエリーがこんな言葉を発するわけが無い。
日本語のカタカナ語として「チャレンジ」を使ったとしても、時代背景が合わないことは先の記事で述べたとおり。
エリーの言葉に対して訝(いぶか)る悟に、エリーは「何事にも挑戦し冒険する」と日本語に訳している。
現在は、「挑戦する」の代替語として「チャレンジする」が使われるが、この「挑戦する」は、もともと「(人に)戦いを挑む」という意味だけだったようで、ドラマの台詞のような「何事にも挑戦する」のように、事物を対象にした使い方をされるようになったのは比較的新しいことのようだ。
昭和44年(1969年)版の広辞苑によると、「挑戦」の項目には、「戦いを挑む」という説明があるのみで、この当時にあっては、「けんかを吹っかける」ぐらいの意味しかなかったようだ。
それが、高度成長期の人々の上昇志向が、「挑戦する」の意味に肯定的ニュアンスを与える契機になったのだろう。
「挑戦する」の対象は人から物へと拡大し、いまや、「挑戦」の対象は「より高い位置」「記録」「合格」「困難な事業」というほうが主流になった。
「挑戦」が「けんかを吹っかける」だけの意味だった時代なら、「挑戦」を"challenge"で置き換えてもそれほど問題はなかった。
しかし、日本語の「挑戦」の意味が変遷しても、英語の"challenge"の意味に変化など無いから、事物を対象にした「挑戦する」をカタカナ語で「チャレンジする」と表現できるからといって、英語の"challenge"では表現は出来ない。
つまり、ドラマの中で、英語ネイティブに"challenge"を間違った使い方で使わせ、その訳として、「何事にも挑戦する」などと訳させるのは、全くもって噴飯物なのだ。
ドラマ自体は、それこそ、新しいものづくりに「挑戦」し続けた主人公たちの感動物語なのだが、時代背景、言葉の意味の変遷を全く考慮しない台詞回しが、私にとっては、ドラマの感動に大いに水を差すものになってしまっている。