日本人の英作文2016-6

今回の英作文のテーマは、たまたま、シリーズで書いている「赤ちゃんの泣き声…」に関連している。
課題文の元ネタは作家の桐野夏生の文章。新聞の広告用に書き下ろしたもののようだ。男女の意識の乖離(かいり)を地下鉄の駅の一シーンとして描いている。
男性である亮平の意識の在り様を、女性である筆者がどのように捉えているかも私としては興味深い。
さて、いつもどおり、課題箇所と英訳例は次のとおり。

課題文
思考ときたか。亮平はその時のことを思い出した。亜美が『今、仕事を辞めちゃったら、バスから降りることでしょう。一寸先は闇みたいなもんだよね』と溜息を吐いたのだ。
「じゃ、俺が同意すればよかったのか」
訳例1
"Oh, you are mentioning my way of thinking, aren't you?" Ryohei remembered the argument between them.
"Quitting my job means that I will give up my career on the way. Even an inch ahead is in the dark, right?" said Ami with a sigh.
"You wanted me to agree with you. didn't you?"
訳例2
He thought that she had said "thought."
He remembered when she said, "If I quit the job, it would be that I would get off the bus, no one knows what may happen tomorrow.", then she sighed.
"So, should I have agreed with her?", he talked to himself.

課題箇所は、しょっぱなから処理に注意が必要だ。
「思考ときたか」の部分は、亮平の心の中の言葉だ。この心の中の言葉は、日本語の場合、表記法が定まっていない。
課題文のように、引用符をつけないで,地の文として書いてもいいし,引用符を付けた上で,「…と思った」を付け加えてもよい。
後者はなんとなく子供っぽく感じられるので、私の場合、前者しか使わない。
原文の作者は、普段の執筆でどのようにしているのか知らないが、この課題文に限って言えば、前者の処理法に拠っている。
この処理法の場合、引用符付きの箇所は、登場人物が実際に、口に出した内容だ。
すると、訳例1のように、この箇所を亮平が実際に口に出したことのように表現するのは誤りということになる。
英語でこの部分をどう表現するかは、日本語と同じで訳文2のように動詞thinkを使って間接話法的にするか、"say to oneself"を使って、直接話法的にするかのどちらかになる。
この"say to oneself"をネット辞書のThe Free Dictionaryは次のように定義する。
1. Lit. to mutter something to oneself so that no one else can hear.
2. Fig. to think something to oneself.
上記引用部分で、Lit.とあるのは、literallyつまり文字通り口に出すと言うこと。
1.の定義は、日本語で「独り言を言う」ということで、2.はそれに対してFig. つまり比ゆ的ということで、日本語で「心の中でそう思う」ということ。
次の亜美の台詞も厄介な問題を含んでいる。
それは比ゆ表現をどうするかという点。
「今、仕事を辞めちゃったら、バスから降りることでしょう」という表現で、十分意味は伝わるが、それは、相手の言いたい事を聞き手が類推して理解すると言う日本の言語文化ならではのこと。
英語では、比ゆを使うなら,正しい比ゆ表現を使わないと理解してくれない。
訳文2のように、亜美の台詞をそのまま英語に訳しても、意味は伝わらない。
また訳文2はの当該箇所を仮定法過去で表現しているが、仮定法は、実際に起こらないか、その可能性のきわめて低いと表現者が思っているときに使う表現。
亜美は現実にその可能性があるから,亮平に自分の仕事に関して相談したのだから,仮定法にするのはおかしい。
亜美のもうひとつの台詞、「一寸先は闇」も比ゆ表現。
この部分を、今度は訳文1がそのまま英語にしている。これでは意味が通らない。
最後の部分を訳文1は、亮平の実際の台詞ととり、訳文2は心の中の言葉ととっている。
この課題部分に続く亜美の台詞に「そういう単純なことじゃない」とあり、「単純なこと」とは、亮平が亜美に同意すればよかったことだと理解できるので、ここはやはり、亮平の実際の台詞と取るべきところ。
訳例
"Optimistic ways of thinking?" he said to himself. Then he remembered that she had talked about her job, saying "Quitting the job now is giving up my career, isn't it? I don't know what will await me." , and had given a deep sigh.
"You mean I should've agreed to what you said?"