へじゃ、こだわっとった一級酒は?

表題は18日の「マッサン」で、マッサンの甥、悟がマッサンの「三級ウィスキー造って売り出そうと思うんじゃ」に対して発した台詞。
「こだわる」を本来の「あることに考えが凝り固まって、融通が利かなくなること」という良くない意味ではなく、「あることを追求してやまない、究極を求めようとする」というむしろいい意味で使うのは、ごく最近になってはやり始めた言葉だ。
前回の「チャレンジする」よりもさらに後の時代になって使われ始めたものだと思う。
この言葉の使い方は、職人やとりわけ料理人の仕事ぶりに関して、テレビの番組で使われ始めた当初から気に入らなかった。
実に違和感のある言葉で、職人気質を表現しようというなら、いくらでも他に適切な言葉があるのに、それを無視して、ある言葉の本来の意味とは違う使い方をする。
聞くたびにイライラさせられる言葉だったが、それが今やどんな場面、状況でも当たり前に使われる時代になった。
言葉の意味や使い方は時代によって変化するので、「こだわる」に関しても蔓延してしまった使い方に異議を唱えても仕方の無いことなので、自分では使わなくても、特に気にもしなくなった。
これと同じような感覚にさせられたのが、「まったりする」があるが、これもでたらめな使い方がいまや主流というか、「まったりする」などという言葉がそもそも以前にはなかったのだ。
本来は「もちもち」などと同じように、食べ物の食感、食味を表す言葉で、動詞として使うことばではない。
上記のような最近になってからの使い方が、時代設定がそれ以前のドラマの中で使われたとなると、やはり違和感を持たざるを得ない。
ドラマ「マッサン」での時代設定は、戦後3年だから、「こだわる」がいい意味で使われるのはずっと後の時代になってからだ。
ドラマの時代ならば、「こだわっとった一級酒」ではなく、「追い求めとった一級酒」とするか、ドラマの内容から、「本場にも負けん一級酒」というような表現をすればいいのだ。
言葉の使い方意味が、時代とともに変遷していくのは仕方がないとしても、そういったことを敏感に感じ取り、本来の使い方とは違う使い方に、違和感を感じる人間もいる。
そうしたことに、このドラマの脚本家は言葉を扱う職業にありながら、まったく「こだわり」を感じていないようだ。