かくも異なるものか#4

身体的に美的でない部位を取り上げて、あれこれ言われ続けた私には、この悩める14歳女子の悔しさや敗北感は痛いほどよく分かる。
私の場合は、ごく小さい頃は鼻の低さ、小学校高学年ぐらいの頃には、背の低さ。続いて中学生時には、出っ歯なところ。この頃のあだ名が「出羽守」。ただし、「でわのかみ」と発音するのではなく、「でばのかみ」だった。
その後も身体的な欠点であれこれ言われることは絶えることがなかった。
しかし、こうした欠点は、高校生のころに腎臓病、それもかなり深刻なものを患ったことで気にしている場合ではなくなってしまった。
命の危険という深刻な問題の前では、身体的外見の悪さなど、たいした問題ではないというのはそのとおりだ。
しかし、より深刻な問題が起こらない限り、外見的な欠点は本人を悩ませ続けるだろう。
私の場合、腎臓病が軽快した後も、筋肉増強のためのトレーニングは怠らなかった。長期の入院で落ちた体力を回復させるという意味もあったからだ。
では14歳女子の場合は、具体的にどうすればいいのだろう。
私のように、肉体トレーニングに励み、顔とは別のところの身体的特徴で勝負するというのは、男の場合には通用しても、女ではうまく行かないだろう。
昨今では、男性ビルダーのように、筋肉ムキムキの女性ビルダーがいる。
この場合でも、顔はせめて十人並みでないと全く相手にされないどころか、むしろ化け物扱いになってしまう。
女性の場合、何はともあれ顔が十人並み以上であることが絶対条件だ。
少し前に、「一見栄、二男…」という記事を連載したが、女性の場合、「一顔、二見栄」でおしまい、後がないということだろう。
考えられる解決策はひとつしかない。ずばり、美容整形だ。
しかし、この考え方は日本では賛同する人はあまりいない。
なぜか。
身体的特徴は遺伝によって決まってしまい、しかも、学齢期にはそれが一種の精神的序列の根拠となる。
ごく一部の身体的に優れた特徴を持つ子供が、みんなの憧れの的で、大多数のこれといった特徴もなければ、欠点もない子供は、そうした憧れの的になる子を羨む一方で、自らの魅力のなさにひそかに悩む。
こうした子供の劣等感を解消する方法は、自分たちより、一段劣った容貌、身体的特徴を持つ子供の身体的欠点を集団で攻撃することだ。
よく問題になるいじめの端緒がこうしたことで始まることは、よく知られたことだ。
学齢期に形成される、こうした精神的な序列はその時期を過ぎても長期に亘ってそれぞれの心のなかに、保持され続ける。
美容整形なるものは、この序列を根本的に揺るがすものだ。
通常の方法、特に個人的努力ではどうにもならない絶対的序列が、高額な費用がかかる手術という人工的方法で、ゆるがせにされるのだ。
だからあれこれと、難癖をつけて、これをけなす。
手術だから、当然リスクも伴う。そうしたリスクをことさらに強調、誇張して美容整形しようとする人間をけん制するのだ。
美容整形に近いものとして、歯列矯正なるものがある。
矯正することには、健康上のメリットが大きいと考えられるが、美容上の理由も大いにある。
これに対しても、あれこれと難癖をつける人間は少なくない。下記のサイトの記事には、そうした具体的な例が見て取れる。
http://damage0.blomaga.jp/articles/10042.html