自己責任7

オーストラリアでの乗馬体験は自己責任ということを考えさせるきっかけとなった。
乗馬クラブで乗馬を申し込む際に、同意書を書いたが、日本ではどうなのだろう。
同じように、事故があってもクラブ側には、責任は問わない旨の同意書を書いて、乗馬するのだろうか。
同意書を書かなければならない場面は、オーストラリアでは乗馬だけでなく、いろんな場合があるようだ。そしてこれは多分、海外のほかの国でも同様だろう。
日本で、私が知っている同意書の例といえば、人間であれ、動物であれ、手術の際に提出する例のものだ。
手術には常に危険が伴う。それを承知の上で手術を受けるかどうかは本人、または保護者の判断しだいだ。
そして、そのリスクは署名者本人が100%負う。
日本では、手術以外で、こうした同意書が求められる場合というのを私は知らない。
それだけに、自己責任がどれほど重大な意味を持つかあまりわかっていないのではないだろうか。
レストラン、料理店で出すものに、ある種の危険がある場合、同意書を書いてからでないと食べられないというのは、聞いたことがないが、自己責任の原則を適用するなら、まずは、同意書に署名し、その後、その食べ物を食べて、死んでも文句はいえないということになる。
こうしたことを一般的なルールとして受け入れる習慣やものの考え方が日本にはない。
さらに、同意書のような私人間(しじんかん)の同意は、公的ルールに影響しないから、
ある食品を食べて、客に異常が生じた場合、同意書の有無に関わらず、その食品を出した店側の責任は免れない。
そうなると、ある食材なり、品目が法令で禁止されれば、店はこれに従うしかない。
自己責任のルールを持ち出すのは、日本ではお門違いなのだ。
英語圏の国では、河川、湖沼などに、"SWIM AT YOUR OWN RISK!"、普通のプールにも、"DIVE AT YOUR OWN RISK!"と言う風に、いたるところに"AT YOUR OWN RISK"と言うフレーズが見られる。
これがまさしく自己責任の原点で、「やるならご自由に、でもその結果がどうなっても知りませんよ」と言うことが生活全般に浸透しているのが欧米なのだ。
個人の判断が重要視されるのが欧米だが、その分、負わなければならない責任は重大で、自分の命を守るのは自分という責任もその中に含まれる。