悪夢

いつも見ているブログ。たくさんの動物たちとの同居生活をつづっている。
そのお宅に最近になって一匹の野良猫が暮らすようになった。やってきたときには既に妊娠していて、先日の記事で、ついに5匹の子猫を生んだことが記されていた。
ブログ主はその誕生を手放しで喜び、寄せられたコメントも誕生を祝福するものだった。
ブログの記事で誕生が間近なのは知っていたので、私もうれしく感じた。
たくさんの子猫の母親となった母猫。そのかいがいしさが詳しく記事で述べられていて、心が温まった。
コメントの一つで日本で最近、問題になっている子供への虐待が言及されていた。
動物の子供に対する無償の愛情、それに引き換え自らの子供にさえ虐待を加える人間がいることには、私も憤りを感じる。
ブログの記事を読んだ後、私もコメントを寄せようかと思いつつ、眠くなったので寝ることに。
明け方近く、眠りから覚めるころにその悪夢は始まった。
ブログ主のお宅と同じように、うちにもたくさんの動物たちがいる。現在犬5頭、猫3頭。
夢の中でも、同じようにたくさんの動物たちに囲まれていることがある。
その夢の中でも、世話をしなければならない動物たちがたくさんいて、その世話に追われていた。
そしてとんでもないことを思い出した。最近になって生まれたばかりの子犬を数匹保護していて、まだ目も開かない状態なので、数時間おきに授乳しなければらない。
それなのに、その授乳を忘れてしまったのだ。
慌てて、子犬たちのいる離れの一室に急いだ。なぜか子犬たちはたんすの抽斗に入れてあった。急いで抽斗を引き出すと、もうそこには干からびでミイラ化した子犬がいた。
同時に保護していたスズメのヒナ二羽は虫の息だったが生きていた。
おぞましい光景に激しく動揺し、そこに後悔の念が重なる。
ああ、こんなことになるのなら、子犬を保護などしなければよかったのだ。
深い後悔と悲しさがこみ上げたその時にようやく目が覚めた。
多分、多くの人の場合、夢から覚めたとき、夢でよかったと思うのだろう。
ところが私の場合、目が覚めた後も、夢の中での感情がそのまま残ってしまう。
理性の部分は夢なのだから、忘れればいいと言い聞かすが、感情の部分はそれに従わない。
激しい悲しみと後悔が心の中で揺曳(ようえい)したまま、しばらく寝床から起き上がれなかった。
夢にはとても不思議なところがいくつもある。起きているときなら、当然、おかしいと思うことでも、夢の中ではそんなことはつゆほども感じない。
先の悪夢でも、生まれて程ない子犬をたんすの引き出しに入れておくなど、ありえないことをやっている。
同時にスズメのひなを保護していて、同じたんすの引き出しに入れているなど可笑しいに決まっているのに、夢の中では少しも変ではない。
授乳を忘れたのは一回だけなのか、数回なのかははっきりしないが、子犬がミイラ化するまで気が付かないというのもおかしい。
一方スズメのヒナはまだ生きているなど、到底あり得ないことが起きている。
これだけ可笑しいことがあるのに、夢の中では、それに気が付かない。気が付かないどころか、夢の中で起きたことを現実と受け止めてしまう。
普通の人の場合、夢から覚めれば、そこでその現実はおしまい。夢の中のこととして文字通り雲散霧消なのだろう。
ところが、私の場合、夢の中での光景や、それが原因の感情の部分が、そのまま夢から覚めても残ってしまうのだ。
何とも厄介なことなのだが、ずっとそうなのでどうしようもない。
このブログを書いているこの時には、若干、記憶が薄れてはいるが、おぞましい光景はまだリアルに残っている。そうである以上、これは現実に起きたこととそれほど違わないのだ。
悪夢を見ると、その光景がリアルに残るせいか、その後も同じ悪夢を連続で見ることが多い。
今晩の夢見が恐ろしい。