同級生K君の思い出 7

あるとき、K君と話していて、私がK君の家に行っていいかとたずねたことがある。

K君の家がどんな風なのか、彼の日常がうわさどおりのものなのかを確かめたいと思ったからだ。

しかし、K君はこの話には乗ってこなかった。どこに住んでいるのかもはっきり言わない。

帰宅してからすることが色々あるからとかそんな理由で、私が彼のうちを訪れる事をやんわり拒否した。

自分の日常を私に知られるのが嫌だったのかもしれない。

しつこく訪問を迫るのはまずいと思って、私はこの話を二度とはしなかった。

敵勢力のシカト作戦は、徹底かつ執拗なものだった。作戦は夏休み明けの二学期から始まったと思うが、これが延々と続き、結局、3月の終わり、つまり学年の終わりまで続いた。

そのため、私はこの学年の同級生の名前をK君とTを除いて一人も覚えていない。

ほとんどの男子同級生は、私と一言も口を利かないまま5年生を終えたと思う。

そして新しい学年の始まり。クラス替えが行われた。新しいクラスメートは全員が知らない顔。

K君も、ヒーローTも、彼の取り巻き連も誰一人、6年生の新しいクラスにはいなかった。

今から考えるとこれは少し不自然。同じ学年に8クラスあったから、6年のクラスにも男子の8分の1、大体3人ぐらいは5年生のときと同じ生徒がいてもおかしくない。

これはひょっとすると、担任がクラスの男子生徒の間に不協和音が生じていた事を知り、6年のクラス編成で私と5年生のときの同級生が同じクラスにならないようにしたのではないだろうか。

もしそうなら、私にはありがたい配慮だった事になる。

生徒間の揉め事は担任といえども部外者。そこに担任が強権的に介入してもことが拗れるだけ。

クラス替えで、対立関係にあった生徒を別々のクラスにするというのは、穏便且つ効果的解決策だ。

担任が男子生徒の対立構造を知ったのはなぜか。今考えると、同じクラスの女子の誰かが、担任にそのことを知らせたのではないかと思う。

女子は男子の対立構造とは直接関係がなかったが、たとえば共同作業で行う放課後の掃除のときなど、私がいるとほかの男子が掃除をボイコットする。こういうことで対立関係に気づいていたに違いない。

なんにせよ、6年生になって、K君と会う機会はなくなった。同じ棟の同じ階のクラスだったら、廊下で出会うということもあったかもしれないが、かなり離れたクラスになったのだろう、まったく出会う事がなかった。

当時私の学校は一学年8クラス。一クラスの人数が45人ほどという、かなり大きな学校。1組と8組ではそれぞれ、教室が1階と3階の端と端。

私は1組だったから、やはりクラス編成で何らかの配慮があったと考えられる。

6年生になって程なく、私は隣町に引っ越す事になり、小学校最後の学年ということで、転校せず卒業まで同じ学校に通う事になったが、新しいうちは駅から遠く、帰宅時間が遅くなるので授業が終わると、そそくさと帰路に着いた。

5年生のときの同級生とは、そんなこんなで学校で顔を合わせることはまったくなかった。

そのため5年生のときのことは急速に過去のものとなり、K君のことも忘却の彼方。思い出す機会もなく、一年が過ぎ、小学校の卒業を迎えた。