澱みのその下で2

数年前までは毎日のように歩いた川上への河川敷遊歩道の散歩コース。川上へ約1kmほど歩いたところにその橋はある。
車の通行が禁止されている小さな橋で、どこといって変わったところはない。
片道3kmほどの散歩コースには、いくつもの橋が架かっていて、その下を歩くことになるのだが、毎日の散歩で、この橋の下を通る時、いつも決まってすることがあった。
この橋から下を覗いたあたりに、川の水位示す水位メジャーが遊歩道の真ん中より、やや堤防側に近いほうに立っている。
散歩でこの水位メジャーを横を通る時、道幅に余裕のある川側ではなく、わざわざ道幅が狭くなっている堤防側を歩いていた。最初に散歩でそこを通りかかった時から、そうするようにしていた。
手にはワンコ二匹を連れているのだから、幅に余裕のある川側を歩くのが自然なのだが、私はそうはしなかった。
散歩で、この場所に差し掛かると、内なる声とでもいうか、ざわざわとした不安感とでもいうのか、表現しがたい何かが、川側に近づくんじゃないと私の心に警告を発するのだ。
毎日の散歩で、その橋の下あたりに来ると、いつも心臓の鼓動が少し早くなり、その声が聞こえてくる。
私は、時おり聞こえてくる、この内なる声には逆らわないことにしている。逆らうと、必ずと言っていいほど悪い結果が待っているからだ。
犬の散歩は同じ道を、帰ってくるから、帰りもまたこの橋の下を通るのだが、そのときも必ず堤防側、なるべく川岸から遠いところを通るようにしていた。
川岸に近づくのを避けるように、毎日の散歩を続けていたが、ある日の散歩の時、この奇妙な習慣を破ってみたくなった。
いったい川岸に近づいてはいけないどんな理由があると言うのだ。理性的なもう一人の自分がそう主張したからだ。
いつもどおり、川岸から遠い堤防の近くを行きかけたが、そこからわざわざ川岸のほうに歩いて近づいた。
遊歩道の川岸の側はコンクリートブロックの斜面になっている。
その斜面が見えるぐらいまで川岸のほうに近づき、そして、首を伸ばして斜面をそぉーと覗き込んだ。