右か左か? 番外編6

鏡に映った自分(虚像)の右と左が、実際の自分(実像)と逆になっているという認識は、私たちの左右の認識の仕方に関係している。
前後左右の基準は一人一人の視点にある。右という客観的方向があるわけではなく、それぞれの個人の視点から見て、右手のあるほうが右なのだ。
そして、前後は、顔の向いているほうが前で、その反対側が後ろになる。
向かい合わせに座っている相手の右側というのは、自分から見た場合の右側とは逆になることを、左右の認識が出来始める成長過程では、瞬間的に判断できず、相手と同じ向きに顔を向けないと左右の区別がつかない子供もいる。
小さい頃に身につける、この左右の認識方法こそが、鏡の中の自分が左右が反対になっていると考える原因だ。
自分以外の他人の視点を理解するため、その人の顔が向いている方向に体を回転させて考えるやり方を、鏡に映った自分にも当てはめてしまうため、鏡に映った自分の右手を左手と認識してしまう。
そう認識してしまうのは、人間の体のつくりが、3次元座標を使って言えば、yz平面に関してのみ、一つだけ対象面を持つ左右対称形になっているからだ。
人間の体は、左右対称形とはいっても、厳密なものではなく、言ってみれば近似的左右対称形だ。
近似的というのは、人間の体は顔であれ、手足であれ、完全な左右対称形ではないからだが、3次元のほかの方向、たとえば、頭と足とでは、似ても似つかない非対称形だから、回転を加えて、虚像の自分に、実像の自分を重ね合わせるには、対称性が少しでもある左右方向しかない。
つまり、鏡に写る自分の姿がいつも左右が逆になるのは、鏡が持つ性質ではなく、いつも意識の中で、自分を回転させて、鏡に映っている自分と重ね合わせる意識がもたらしたものなのだ。
もし人間の体が、3次元のいずれの方向にも、対称面を一つも持たない構造、たとえば巻貝のようなものであった場合、実像の自分の姿をどう回転させても、虚像の自分と重ね合わせることができない。
その場合、鏡の中の自分はいつも左右が反対になるという認識は生まれようがない。
鏡に映った自分の右手は、あくまで、鏡の作用によって反転した右手なのであって、鏡の中の自分にとっての左手なのではないのだが、小さい頃に身についた左右の認識方法が原因の意識であるため、その誤りにほとんどの人が気がつかない。
画像は、前回の画像と少しばかり違う。
どこが違うかというと、鏡も、そこに写っている女性も若干、横幅が広くなっている。
つまりこの鏡、人間を実際よりスリムに見せるための鏡なのだ。前回の画像が実際より、スリムに映るように調整した場合で、今回のものが調整無しの場合だ。
洋装店などの姿見に使うと、売り上げが上がるという効果も期待できる。