日本人の英作文27

goとcomeの使い分けで、次に考えるのは、go homeとcome homeだ。
goが離脱関係を、comeが接近関係を表すという原則に照らせば、go homeとcome homeの区別について、項を改める必要もないのだが、日本語の表現の関係で注意すべき点がある。
日本語では、家に帰ることを、ある場所から帰宅の途につくことも、実際に自宅に帰り着くことも「帰る」で表現する。
英語では、帰宅の途につくことはgo homeだし、家に帰り着くことはcome homeだから、日本語の「帰る」がどちらの意味なのかをはっきり区別していないと英語に訳す時に間違えることになる。
「帰る=come home」という覚え方だと、会社の勤務時間が終わって、帰宅しようとして、同僚に"I'm going to come home."と言ってしまう可能性がある。
話し手である自分は、これから、会社を離れるのだから、ここは"I'm going to go home."または"I'm going home."というべきところだ。
「帰る=go home」という覚え方だと、今度は、家で話し手の帰宅を待っている家族に、電話した時に、"I'm going home."と言ってしまうかもしれない。
これは、「日本人の英作文24」で述べた、"I'm going to the place."の間違いと同じだ。
さて、ここで荒川静香のエッセイにあった表現、「両親の実家に帰省する」について考えてみる。
この表現自体に違和感を感じる日本人はいないだろう。ところがこれを英訳するとなると、厄介な問題がある。
この部分を、勉強会のメンバーがどう英訳したか。次に再掲してみる。

原文: 実家に帰省するたびうれしそうに出迎えてくれたものです。
訳文1: He would warmly welcome me every time I went home.
訳文2: It would come out to the enterance with a joyful air wenever I returned to my parents' home.

訳文1のI went homeとあるところは、I came homeとするべきところなのは、帰宅した時でないと、チャロは出迎えられないのだから当然として、帰宅というのは、そこが自分の家の場合だ。大学生の時に、下宿生活をしていた時ならともかく、卒業後、独立した生計で東京で生活し始めた後も、宮城県の両親の家を荒川静香の自宅としてしまっていいものか。
エッセイでは「帰宅」とは言わずに、「両親の実家に帰省」という表現をしているところからも、少なくとも大学卒業後、両親の家はもう「帰宅」する場所ではなくなっていると考えた方がいい。
では、訳文2のreturned to my parents' homeはどうかというと、こちらは、その時、彼女が住んでいた所、多分東京を引き払って、宮城のうちに戻るという意味になっている。
これは、元の日本語の意味するところではないので、これもよくない。
こうした間違いが生じるのは、元の日本語に「帰」という言葉があることに原因がある。
では、これもまた不正確な日本語の一例かというと、そうとも言い切れない。
「両親の実家に帰省」という表現に違和感を持つ日本人がいないのは、子供にとって、両親の住む家は、子供が何歳になっても、帰ることの出来る場所であるという日本人独特の精神構造のせいだと思う。
しかし、両親から独立した以上、そこはもう「帰る」場所ではなく、「行く」または「訪れる」場所なのだから、動詞はgoまたはvisitを使うべきなのだ。