ゼロの神話6

ギリギリの機体設計で、発展性がほとんどなかったゼロ戦だが、Hさんに話にもあったように、中国戦線に投入されたその初戦で大きな戦果を上げる。
1940年9月13日、中国の都市、重慶上空で、13機のゼロ戦が27機の中国軍機、全機撃墜、ゼロ戦は4機が被弾したものの、負傷者なしという戦果を上げる。軍部がこの結果を大いに喜んだのも当然だろう。
真珠湾攻撃により、アメリカとの戦争が始まると、ゼロ戦の戦う相手はもっぱら米軍機となる。その頃のアメリカの主力戦闘機といえば、F4Fワイルドキャット。
ゼロ戦とは設計思想がまるで違うF4Fは、空中戦、とりわけドッグファイト(巴戦)では、ゼロ戦に遅れをとったようで、大戦初期のゼロ戦の活躍というのも、この頃のこと指している。

  • アクタン島でのゼロ戦回収の様子

しかし、1942年7月、アリューシャン列島のアクタン島に不時着したゼロ戦を、米軍が回収し、その性能テストを行った。これにより、ゼロ戦の機体特性、空力特性が明らかにされた。以後米軍機の対ゼロ戦戦術がマニュアル化され、さらに、その直後の1943年にはF4Fを上回る性能のF6Fヘルキャットが投入されるとゼロ戦の優位性は崩れ去ってしまう。
こうしたゼロ戦の開戦当初の優位性と、その後の凋落は、言論統制下にあった大戦中の国民の知るところではなく、当然ながら、国民によるゼロ戦の神格化という事実もなかった。
戦後すぐには、今度はGHQにより、言論統制が行われ、軍事に関する出版物は厳しい検閲を受けため、国民の間のゼロ戦にまつわる事象の神格化はやはり起こらず、こうした事は全て、GHQ言論統制がなくなった後の産物なのだ。
GHQによる規制もなくなり、国民がこぞって国家復興に邁進していた頃、日本国民としての誇りが持てる象徴としてゼロ戦が復活した。
この復活に大きく寄与したと思われるのが、二次大戦を題材にした戦記物、子供向けの戦記マンガだったように思う。
とりわけ、子供向けの漫画は、戦闘機のパイロットを主人公にしていて、当然ながら、主人公は無敵のヒーロー、そのヒーローが操る戦闘機はこれまた無敵のものとして描かれていた。
私が小学生だった頃に刊行された週間マンガ雑誌にも、こうした戦闘機ヒーローものは、まだ数多くあり、私自身、そうしたマンガのファンであった。
思えば、ゼロ戦に限らず、太平洋戦争中の日本の戦闘機に対する憧れや、これを無敵のものと信じ込む心性は、小学生時代に読んだマンガによって刷り込まれたものかもしれない。
かくして、ゼロ戦の無敵は、神話化され、ゼロ戦の設計者は天才ともてはやされ、実際にこれを操縦していた操縦士は永遠のヒーローとなった。
ちなみに、戦闘機ヒーロー漫画の中で、私のお気に入りは、ゼロ戦パイロットを主人公にしたものではなく、「紫電改のタカ」という漫画だった。作者は「明日のジョー」のちばてつや
50年近く前に読んだマンガの数々のシーンが今も脳裏に浮かぶ。少年の頃に刷り込まれた記憶というものは、それほど強固なのだ。
画像は、自分の機が航行不能になり、主人公助けるために接近した僚友機に主人公が飛び移るというシーン。こういうシーンを本気にしていたのだから、子供相手の漫画の影響は恐ろしい。