見ざる言わざる5

他にも思い出す、火災による多数の犠牲者がでた事件、事故がいくつかある。2000年のテレクラ放火殺人事件、2007年、T市でのカラオケ店火災などだ。
私がこうした事件、事故を執拗且つ、克明に記憶しているのは、同じようなことが自分にも起こる可能性があると感じるからだ。しかし、もちろんのこと、そのように感じていることを他人に漏らすことはない。
悲観バイアス派の人間は、決して表には出ないと思っていたら、あるバラエティー番組で、元バレー選手のKが驚くべき発言をした。
Kは、自宅の寝室および各部屋に侵入してきた強盗と戦うため、木刀を準備しているという。
番組には、一般人の参加者も多くいて、この発言を聞いた時の反応はほとんどブーイングにも近い「エーっ」であった。多数派の楽観バイアス派にとっては、信じられない行動だろう。
そして、なぜそうするかの理由として彼は「他の人に起きた事件、事故は自分の身にも降りかかるかもしれないから」と答えた。
これまたスタジオの一般参加者の反応は先にも増しての「エーっ」。この「エーっ」は「この人、頭がおかしいんじゃないの」と同義と捉えてよい。
Kと私の考え方はほぼ同じだ。Kに木刀の備えをさせた事件が何であったかはわからなかったが、私があるときから、自宅の二階の窓全てに防犯対策を施したのはある事件がきっかけだった。
その事件とは、未解決のままの世田谷一家殺人事件だ。2000年の年末に起きたこの事件で、犯人は二階浴室の窓から侵入したと考えられている。
単なる泥棒の場合でも、二階の窓の施錠は防犯の要である。二階の窓に防犯設備のない家は玄関を開放しているのに等しい。
タレントのKの防犯意識は、私と同じでも、その対応の仕方は相当違う。防犯意識を的確な防犯対策に結び付けられるのは、少数派の悲観バイアス派の中の、さらに少数派なのかもしれない。
もっともKの発言はバラエティー番組向けのもので、実際には自宅に警報アラームをつけ、警備会社と契約し、それでも侵入してくる者に対して、木刀で戦うということなのかもしれない。それなら木刀の準備も理解できる。
実は私自身、大学生の頃、下宿生活をしていた時に、枕元に常に木刀を置いていた。卒業とともに、下宿を引き払う先輩から譲り受けたもので、この先輩もひょっすると、少数派の悲観バイアス派だったのかもしれない。