吉野の桜も・・・

読売新聞朝刊の一面にあるコラム「編集手帳」、今日掲載分の一部を引用する。

小社のお手洗いの良いところは、貼り紙のないところだとひそかに思っている◆公衆トイレなどでは<一歩前へ>の掲示をしばしば見るが、どこか命令の響きがある。<○○こぼすな>。これに至っては、書き主の怒りがひしひしと伝わる。人間なら当然するべきことをしているのに、悪いことをしているような…◆それが、いつからだろう。トイレが礼を言うようになったのは。<いつもきれいにご利用いただき、ありがとうございます>。商業施設では今や定番だろう。歌人穂村弘さんが初対面の感想をエッセーにしている。◆<衝撃を受けた。私に云っているのか。私が「いつもきれいに」オシッコしているところを誰が見ていた?>(ちくま文庫『絶叫委員会』)。なるほど、自分以外に知るよしもない秘めたる作法。しかも事に及ぶ前に礼をいただくのもヘンである。(後略)

トイレのマナーについての注意を喚起する貼り紙、掲示書きの文言についての上記エッセーはちょっと笑える。
男子トイレでの小便マナーはいつの時代でも、あまりよろしくないようだ。しかし、そのマナーの悪さを何がしの注意喚起の言葉で正そうというのは、なかなか難しいだろう。命令口調の言葉では、効果があるまい。
このことで、私が通った高校のトイレにあった貼り紙の文言には感心させられたことを思い出した。
その高校は旧制中学が前身で、学制の変更に伴って高校となった地元の名門校だ。私が通っている頃にはまだ、一体いつの時代のものかわからない古い校舎や、古いトイレなどがあった。
そのトイレを使うものはほとんどいなかった。しかし、あるとき、そのトイレを使ったときのこと、便器の前に押しピンで止めた短冊が目に入った。
短冊には、毛筆でなにやら書かれていた。かなり古いものらしく、紙は変色し、書かれていた文字もかすれていたが、まだ十分に読めるものだった。
うん何々、「急ぐとも 心静かに 真ん中に 吉野の桜も 散れば汚し」。
和歌の韻律で、毛筆でしたためたトイレの注意書きだった。
注意書きでありながら、風情が感じられる。筆遣いも達筆だった。これを書いた人物は、多分その高校のずっと以前の先生だったのだろう。
トイレの注意書きにも風流の心を忘れない精神が、かつてはあったのだと知り、その伝統が古いトイレの注意書きに、かろうじて残っていたことに、ある種の感慨を覚えた。
自分がその伝統ある学校の生徒であることにちょっと誇りを感じた瞬間だった。