かくも異なるものか

読売新聞の夕刊のコラムをよく読む。
朝刊のコラムと違って、それぞれの分野で活躍する人の比較的長いエッセイが掲載され、私が指導している英語学習会の英作文の題材にも使うため、必ず目を通すようにしている。
最近まで、その夕刊のコラムにある女性作家のエッセイが連載されていた。
エッセイが掲載されるたびに、一応目を通すのだが、これが全くおもしろくない。
なんというか、共感するところがまるでない。
この作家について詳しいことは何も知らないが、エッセイの掲載欄の端に、本人の写真がついていて、その写真からすると、かなり若い女性で、しかも美人のようだ。
以前から、男と女では、そもそも物の見方がぜんぜん違うと思っていたが、この女性作家のエッセイを読むたびにその思いを強くした。
物の見方の違いを生むのは、性別の違いだけでなく、年齢の違い、それまでの経験の違いなども大きな要素となる。
こうした対立軸のどのパラメーターにおいても、私とこの女性作家では、左端と右端ぐらい違うのだろう。
あるエッセイでは、ティッシュペーパーについて取り上げていた。
取り上げる題材もそうだが、この作家の感性と言うか、ものの感じ方というか、なんだかちっとも分かる気がしなかった。
まあ、人はそれぞれ違うのだから、お互いに全く理解できない人のほうが実は多いのだろう。
そして、つい最近のこと、ある人生相談のコラムを読んで、例え同じ若い女性であっても、あることに関して、世の中の見方が、人によっては180度違うのだろうと思わせる相談に出くわした。
その相談を引用してみる。

14歳女子 なんてブスな私
14歳の女子。私は醜い。そんな感情ばかりが頭の中をぐるぐる回っている。
外へ出れば、同年代の子がかわいい服を着て楽しそうにしている。私は劣等感を感じ家に戻る。外出時はなるべくブサイクが隠れるようにしている。家族や友人は「誰もそんなに見ていないから大丈夫だよ」と言う。いや、あんたらブスを見て笑ってんじゃん、と思う。
私みたいなブスがかわいい服を着ても…と思いオシャレはできない。自分を長時間見ることに耐えられず化粧もできない。
いくら性格を良くしようと、勉強を頑張ろうと、この顔が変わることはない。そう思うと、何をするにもやる気がなくなり、すべてがおっくうになる。
なんでこんなに私は醜いんだ、死にたい、と布団にもぐって泣いている。こんな日々がこの先何十年も続くのかと思うと、とても恐ろしい。

思春期に自分の容貌に劣等感を持つ人は、持たない人よりたぶん、ずっと多いはず。
作家のエッセイには何の共感も持たなかったが、この悩める14歳女子の相談内容にはかなりの部分、共感を覚えた。
まあ、それにしても、かなりの重症。
さて、この相談に対して、回答者はなんと答えたか。