見えるということ#8

私のエピソードとして挙げた例で、最初のハレー彗星の場合を考えてみると、私には、望遠鏡で見た場合の彗星のイメージが、当日のハレー彗星観測以前から記憶バンクに登録されていたので、かなりかなりぼんやりしたものであっても簡単に、ハレー彗星を確認できた。
しかし、ゲストの場合、そうしたイメージを記憶バンクに持たず、彗星といえば、尾を長く引いたものという天体写真のイメージだけを持っていたので、天体望遠鏡の視野に捉えられていてもそれを認識できなかったのだろう。
和歌山県から富士山が見えるという例では、その場所から何度も富士山を実際の見たことのある人であれば、条件が整っていれば、比較的簡単に富士山を発見できたに違いない。
一方、いきなり現場にやって来て、どの方向に、どのように見えるかの参照画像を記憶のなかに持たない探偵では、いくら視力が良くても、見つけられなかったのかもしれない。
もっとも、この例では通常の視力では到底、弁別できないものが、最初の一人の「あそこに富士山が見える」という一言で、集団が暗示にかかり、別のものを富士山と認識してしまった可能性がある。波間に見える人の顔と同じ原理である。
遠くの木の葉陰に体の一部しか見えなくても、そこにオオタカがいると分かるためには、オオタカの姿をあらゆる方向から見たオオタカ認識のための参照画像が何十枚と必要だろう。
そうした参照画像を記憶バンクに溜め込むには、長い観察暦が必要に違いない。
バードウォッチの達人には瞬時に分かるオオタカの姿が、一度も実際にオオタカを見たことがないものには、画像をズームアップして、目を皿のようにしてもなかなかそれと分からない。
あるものが見えるということは、その姿を学習するということなのだ。