知性が大事#29

今度のホームステイ先には私が通う予定の語学学校に、以前から在籍している生徒が二人いた。
一人は中国人の曲。曲という名前は中国では珍しいのかどうか知らないが,変わった名前だと思ったので今でもよく覚えている。カタカナ表記にすると「チュ」となる。
ホームステイ先のお母さんは,中国人の名前は覚えにくいということで,ジュリアンという呼び名にしていた。
もう一人は台湾人の周。彼にも英語風の呼び名があったと思うが覚えていない。
二人とはホームステイ先に到着したその日の夕食で顔を合わせた。
曲は20歳すこし前。語学学校で研修を積んだ後,オーストラリアの大学に進学予定だという。
周は、まだ高校生ぐらいの年齢だったと思う。高校生でオーストラリア留学とはうらやましいと思ったが、実際には,徴兵逃れのために、周の親がオーストラリアに送り出したらしい。
本人にはオーストラリアの大学に進学するつもりなど毛頭ないようで,英語は片言すらしゃべれなかった。
曲とは英語によるコミュニケーションができたので,朝食、夕食時に話をしたが,周とは共通に使える言語がないので,結局滞在中に一度も話をする機会がなかった。
周は言葉が通じない国にほうり出されて、寂しかったのだろう。北京語が通じる曲とばかり話をしていた。
二人とは部屋が別々だったので,夕食が終わるとそれぞれの部屋に引き取ってしまうので,滞在期間の割には交流はあまりなかった。
周の部屋からは、多分台湾で流行っていたポップ長の曲がひっきりなしにかかっていて,少々耳障りだった。
彼にしてみれば、少しでも故国を思い出させてくれるものが欲しかったのだろう。
今にして思えば、夕食の後,外に二人を連れ出して,交流を深めるべきだったと思う。
しかし、ホームステイ先に到着した次の日から,語学学校での講義が始まるので、私の心は、そちらのほうに向いていて,滞在先が同じとはいえ、中国人や台湾人との交流にはなんら関心はなかった。
明日はいよいよ登校日。小学生のとき、転校の後の初登校日の不安と期待の入り混じった感覚がよみがえってきた。