知性が大事44

ジョージが持ってきた紙には、ベクトルの問題と思われるものが書いてあった。
ベクトルの問題といっても、難度の高い応用問題ではなく,日本の大学でいう教養課程のひとつとして,今一度ベクトルの基本を思い出させようというものらしかった。
つまり、ベクトルの概念を説明する内容で、説明のあちこちが空白になっていて、そこに適切なベクトル式を当てはめるというものだった。
ジョージは工学部の学生だ。当然、数学が入試の科目としてあったに違いない。宿題と思われるその問題は、入試の数学を突破した人間には、ごく簡単な内容と思われた。
それで、この問題は君には難しくないと思うけどと聞いたところ、高校のときに、病気のために長期間、欠席をしたことがある。ベクトルはその欠席していたときの単元で自分はベクトルのことをほとんど学べなかったと答えた。
この答えに私は痛く同情した。
なぜなら、私自身、高校生のころ、病気のために一年間の休学をしなければならなくなり,復学したときに、すべての科目で、かなりのハンディを負うことになったからだ。
とりわけ、数学は、教科書を読んで,独学で何とかなるという科目ではない。
数学というのは、教師による説明を前提としていて、教科書にはさらりとした解説が出ているだけだ。
仮にその内容を理解したとしても,内容を定着させるには,たくさんの問題をこなさなければならない。
病気入院中に、数学の教科書を独学し、その問題を日々解くなどという患者が世の中にいるはずがない。
教師による説明を受けられなかった場合、そこが理解の穴になってしまう厄介な科目だ。
私自身は、結局自分で何とかしたが,これは大変なハンディだった。
そうしたことを経験していたので、できればジョージに手を貸してやりたいと思い、問題用紙をあずかることにした。
英語で書いた数学の問題など解いたことはなかったが、問題用紙をつらつら眺めるうちに、なんとなく、内容が分かってきた。
ちょっと時間はかかったが、問題用紙の空白の部分はすべて埋めることができた。
外出していたジョージが帰宅したので、問題が解けたことを伝えると,ジョージが私のところにやって来た。
ベクトルの基本的な考え方や、数式の意味などを問題文に沿って説明していくと,ジョージは大いに納得した。
問題文の説明を全部終わると、ジョージは,"Thank you very much, sir."と手を差し出し、握手を求めた。握手の好きなやつだ。
日本語もそうだが、同じ「ありがとう」でも、言い方によって感謝の度合いはなんとなく分かる。
英語でもその点は同じで、ジョージのこのときの言い方は、"very much"にアクセントを置いた、本気の感謝の仕方だった。
そして最後の"sir"。ルーシーのときと同じだ。
もうこのときのジョージは、私の知能程度を試すという態度ではなく、私を自分と同等か、またはそれ以上の知能、知識を持った人間ということをはっきり認めたという態度だった。