日本人の英作文2016-11

今回、取り上げた「別れ話は突然に」の最終回。いつも通り、課題個所と訳文の例は次の通り。

課題個所
なぜそれが悪いのかわからない。たかが言葉じゃないか。でも、それを言うと亜美はもっと怒りそうだから、亮平は亜美の手をしっかり握って、地下鉄の開いた扉に向かった。
訳文1
I don't know why. After all, it's just phrase. If I'd say that, Ami may get more angry, though. So, Ryohei left for an open door of the subway station with grasping Ami by her hand. 
訳文2
He didn't understand why she thought he was wrong. After all, it was just a matter of which phrase to use. If said what he thought, Ami seemed to get more upset. So Ryohei took hold of her hand tightly instead and headed to an opened door of the subway.

第一文、日本語では、現在形で表現しているが、この文から第三文までは亮平の心の中を思いを表したもの。これまでにもこうした表現が出てきた。
これまでの個所では、"say to oneself"または"think to oneself"を使い、そのあとを間接話法、または直接話法で表した。
だから、訳文1の場合、文の最初に"He said to himsself,"を付け加えて、そのあとに引用符付きで訳文を続ければよいことになる。
しかし、訳文2のように、良平の心の中の思いを"say to oneself"などを書かないで、いきなり間接話法的に表現することも可能だ。
これは描出話法と呼ばれるもので、小説などではごく普通。
「亮平は亜美の手をしっかりと握って」の部分で、訳文1の"grasping Ami by her hand"という言い方は、問題がある。
この部分の表現としては
1. grasp her hand (正確に言うなら)grasp one of her hands
2. grasp her by the hand
のいずれかにするべき。訳文1の表現はどっちつかずの中途半端になっている。
1. と2.の表現の違いが実際上、どのような違いが出るかに関しては、池上嘉彦著「英語の感覚・日本語の感覚」のP81〜P83に説明がある。
ここでその説明を引用するのは、面倒なので、結論だけ言うと、2.の表現が適切と思われる。
なぜなら、良平が亜美の手を握ったのは、亜美の手そのものを握る、または抑え込む必要があったからではなく、あくまで、亜美という人間を引っぱって行くための手段として、手をつかんだからだ。
訳文1のような、中間的な表現がなぜダメなのかは、日本人には理解しがたい。
これはつまるところ、定冠詞の用法に理由がある。しかし、その意味が日本人には理解されていないから、"grasp her by her hand"というような表現に違和感を覚えない。
これに関しては、以前紹介したことのある織田稔著「英語冠詞の世界」のP106〜P108が参考になる。
この本に述べられているところを簡単に言えば、"by the hand"というのは、人間だれしもに共通する身体部位として"the hand"を、亮平が亜美を捕まえるに際しての、つかんだ場所の客観的位置情報として提示している。
したがって、彼女個人に属する"her hand"では、客観的位置情報にはならないからだ。
またこの部分は、亮平が亜美の手をつかんだままの状態で地下鉄のドアのほうに向かったのだから、訳文1のように分詞構文を使うのがよさそう。
訳例
He didn't understand why it was wrong to do. They were just words, nothing more than that. But if he said that to her, she would get more angry. So he headed for an opened door of the train, tightly grasping her by the hand.