父方の先祖5

従兄の娘が、目の色が青いというような、特異な形質が私にもあるかというと、これははっきりしたことは言えない。
ひょっとするとそうかもと思うのは、私は生まれて間もないころは、とても肌の色が白く、透き通るような感じだったそうで、小柄で、ぱっちりした目であったため、赤ちゃんの私を見た人は誰もが私を女の子だと考えたそうだ。
母親がおむつを替える時に、股間にあるものを見つけた人は、「えっ、男の子だったんですか」と驚くことがしばしばだったという。
私の容貌はこの時がピークで、あとは劣化の一途をたどるのだが、このことはさておく。
色白というのは、男の子にとっては何の長所でもない。私は夏になり、水泳の時間が始まるのが苦痛だった。
腕や足は日常、日の光を浴びてそれなりに日焼けしていたから問題ないとして、下腹部や太ももの白さが同級生にばれはしないかとかなり心配した。
中学3年ともなり、股間に新たな毛が生え始めると、これはもう大変なことだった。
真っ白な肌と、真っ黒な毛。強烈なコントラストは、同級生の目に留まれば、からかいの対象になること請け合い。
水泳が苦手なこともあり、夏の体育の時間は、私には苦痛の時間だった。
色の白さは、父親も同じだった。
私の父は75才で亡くなったが、臨終の場に居合わせ、病院で遺体の処置をする際に見た父の体は、その年齢からは考えられないほど、肌がつやつやで、かつ色が白かった。
死因は、誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)。これは、病気というより、事故に近いもので、徐々に弱って死んだのではなかったので、肌の色つやは健康な人と何ら変わらず、私は、「こんなにもつやつやした肌なのに、死んでしまうのか」と思った。
父の母親、つまり私の祖母の場合は、父方の親戚の間で語り草になったことがある。
人が亡くなると、遺体を清める人がやって来る。
80代で亡くなった祖母の遺体洗浄にやってた人が、遺体を見て仰天したという。
顔は普通の老婆の顔。ところが、首から下が、真っ白つやつや。「こんなきれいご遺体は見たことがありません」といったとか。
私の父方の祖母は鹿児島に住んでいたから、直接このことに聞いたわけではない。葬式に参列した、私の叔母から聞いた話だ。
色白は父方の祖母から、父を通じて私に伝わったのだろう。

左の画像は、つい最近に撮った私の左太ももだ。
体のほかの部分はともかく、この部分は、日の光をほとんど受けてこなかったので、いまでもかなり色が白い。単に白いだけでなく、皮膚の下を走る静脈がはっきりと見える。
私の祖母の場合、これが全身にわたって同じような状態だったのだと思う。
念のために繰り返すが、左の画像は、還暦を過ぎた男性の太ももをとったもので、誤解のないように。