知性が大事39

パースからカタンニンに戻った時には、学校の夏休みも残りわずか。最後の休みの日を使って乗馬に誘われたときのことは、以前に「自己責任1〜7」で記事にしたことがある。
このときの経験は日本人と英米の人たちの、個人の責任ということの意識の違いを知るきっかけになった。
このときの記事へのリンクは次のとおり。
http://d.hatena.ne.jp/eriosyce/20120613/1339576033
ブログ内検索を「乗馬」でしたほうが記事が一まとめに出てくる。
個人のあり方を重視する欧米では、個人個人に高い判断力を求めてくる。何かで事故にあったりするのも、すべては自分の判断力が低い所為なのだ。
知性の高さが評価される一方で,低い判断力による、お馬鹿な行為をする人間は、それによって起きた結果を、すべてその身が背負わなければならない。それが欧米流だ。
夏休みが終わって、カタンニン高校での授業が再び始まったが、そのときから私の滞在期間が終わるまでの3ヶ月間はあっという間のことだった。
実際のところ、同じようなことの繰り返しの毎日はほとんど記憶に残っていない。
2月から4月にかけて、オーストラリアの季節は秋。日本のような紅葉があるわけではなく,冷たいにわか雨の多い不安定な天候の日々が続く。
にわか雨でひとつ思い出すのは、その頃ホームステイしていた一家が学校から近い家から,ちょっと離れた場所に引っ越すしたこと。歩いて通えた学校までの道のりが一挙に遠くなった。
そこで、ホームステイのお父さんが私のために自転車をレンタルしてくれた。それも普通より一回り小さい、多分子供用自転車。
それは良かったのだが、ある日学校の帰り道、突然の雨。恐ろしく冷たい雨に降られた。
家までほんのわずかな距離のところから、雨は降り始めたにもかかわらず,ずぶぬれになった体が芯まで冷えて、体全体がガタガタ震え始めた。
それに加えて、自転車がキーキーといういやな音を立て始めた。ペダルがどんどん重くなり、最後はついにペダルが動かなくなった。
雨水がペダルの回転部分に入り込み,さらにそれが原因で、ペアリングが焼き付いたのだ。
こういっては何だが、オーストラリアの日用品の質はお世辞にも良いとはいえない。
鉛筆の芯は簡単に折れるし,消しゴムで、ノートを擦るとノートに穴が開く。紙の質もなんだがざらついていて、質がよくない。電気製品のソケット部分がしっくり来ないなど,いちいち取り上げていたらきりがない。
そして自転車。自転車が雨にぬれただけで,回転部分のベアリング焼きついたなど、日本では聞いたことがない。でもオーストラリアではそういうこともあるということだ。
ぶるぶる震える体のままで、自転車を押して帰宅。
帰宅して直ぐに熱い風呂などと言っても、そこはオーストラリア。体をバスタブにどっぷりつけて温まると言う習慣がない。
バスタオルで体を拭いて、ベッドに潜り込むしかなかった。
内陸部の秋、夕方ともなるとかなり冷える。体の震えはなかなか治まらなかった。