英語公用語化論5

日本人にとって英語の習得は、英語が好きな人にとっても困難なのはなぜなのか。
その理由は、英語と日本語の言語的な特性に差がありすぎるからだろう。
とにかく英語にあって、日本語にないものが多すぎる。先に述べた時制や冠詞もそうだし、関係代名詞も日本語にはない。
音声面では言えば、日本語にはない母音や子音が英語には、いやになるほど多い。
二つの言語で、一方にあって、一方にないものがある場合、ないほうの言語で育った人間が、それがあるほうの言語を習得することはきわめて困難だ。
特に音声の弁別能力は、ある年齢を過ぎてしまうと、その後いくら熱心に練習しても、もう絶対に身につかないといわれている。
自慢にもならないが、私の場合、rとlの区別はいまだにまったく出来ない。そして区別できないのはrとlだけではない。sとth、fとh、bとvなど数え上げたらきりがない。
言語は、思考の手段だから、人間は一つの言語だけを母語として習得するように出来ている。
外国語を習得しようとする場合、すでに身についている母語を足がかりに、修得対象の言語にアプローチするしかないのだ。
日本人にとって、英語は、その足場から崖一つ隔たっている上、高度にもかなりの差がある。いうまでもなく、英語の高度のほうがずっと高い。
英語好きでも、なかなか実用的な英語が身につかないのに、会社の方針で、将来の社内言語を英語に統一すると言われて、しぶしぶ英語を始めようとする人間が、ネイティブ相手でも、堂々と渡り合える英語を身につけることが出来るだろうか。
悲観的な答えを言うしかないだろう。
英語を社内公用語にすると宣言した会社の本当の狙いは、世界市場に打って出ていく場合、日本語しか使えない日本人社員は足手まといになるので、体よくそうした社員の首を切る口実に英語能力を使おうというのではないか。私にはそうとしか思えないのだ。