吹きぬける風

朝一番、必ず目を通す読売新聞の一面、今日の「編集手帳」を引用する。

美大に通う老舗呉服屋の娘がひっそりとレコードデビューした。沖縄返還あさま山荘事件などで世情騒然とした1972年のことである◆ギターを抱えた長髪の男たちが湿度の高い男女の恋物語を謳っていた時代だ。都会的なサウンド、感性の絵筆で描いた水彩画のような詞の数々は、手を伸ばせば届きそうな女性の夢をちりばめて個性的な世界を築いた◆そうやって第一線を走ってきた松任谷由美さんが40周年記念ベストアルバムを作った。1月3日にゆかりの音楽仲間と武道館ライブを開く◆バブルの80年代、ゲレンデでマリーナで、彼女の曲が流れない日はなかった。「ど真ん中歩いてきたじゃないですか。社会現象起こして、みんな金もねえのに、スキーやらされて」。本紙の対談で爆笑問題太田光さんが語っていた。優れた時代観察者ゆえに歩けた王道だろう◆「年齢を言い訳にしない」というユーミンの長期政権はなお続こう。あやかりたい人にお薦めの曲がある。野田さんに「卒業写真」、阿部さんに「あの日にかえりたい」。公明党や第3極の皆さんには「脇役でいいから」もあります。

ああそうか、40年か。もうそんなになるのか。読み終わっての第一印象だった。
コラムの冒頭のあさま山荘事件は今も鮮明に記憶に残る。東京オリンピック、女子バレー決勝、アポロ11号月面着陸など日本中の注目を浴びた平和的な出来事があるなかで、この事件は発生現場からの中継映像が日本中を釘付けにした点が特異であった。
そして、何よりも特徴的なのは、この中継番組の主役が人間ではなく、山荘の建物を破壊するために投入された巨大な鉄球だったことだ。
単純且つ圧倒的な物理力の行使。多くの視聴者がその鉄球に山荘破壊のための念を送ったに違いない。
最近見た、フジテレビ系列の番組、「ほこ×たて」では、巨大クレーンにつるされた鉄球の破壊力をまざまざと見せ付けた。
どんなものがやってきても、必ずとめてみせるという製作者自信のハイテク素材の車止めを、その圧倒的パワーでぶっ飛ばした鉄球や恐るべし。
勝負が決し、平原に高々と屹立する巨大クレーンとつるされた鉄球は神々しくさえあった。
おっと、今回ここで取り上げたかったのは巨大鉄球のことなどではなく、ユーミンの曲のことだったので、閑話休題
さほど私と年齢の違わない彼女の楽曲が盛んに流れた70年代後半から、80年代にかけて、私はそれらの曲にまったく興味がなかった。
この頃、私はオーディオに夢中になっていて、より高音質の再生を目指して、機器のグレードアップに余念がなかった。高音質の装置は大変高価なので、少しでも安くあげるため、既存の装置の改造、果ては、機器そのものの自作などもやった。
こうした音質重視の装置でユーミンの曲を聴くと、ノンビブラートになりきれない「ちりめんビブラート」が耳障りで、とても聞くに堪えなかった。
聞くに堪えない曲が、我が家のオーディオ装置で再生されることはなく、月日は数十年が過ぎた。
オーディオへの情熱も薄れ、飼い犬の散歩が毎日の日課となっていた数年前、犬の散歩の途中、車から捨てられたものか、たくさんのカセットテープが道路わきに散らばっていた。それぞれのテープには、手書きの曲名が書かれていて、そのほとんどがユーミンの曲だった。
その場所に放置されて、数日経っていたのか、テープのいくつかは雨水のために再生はできそうにもない状態だった。
もう聞くこともないということで、道端に捨てられていたテープ。興味もなかったユーミンの曲ではあったが、そのまま通り過ぎる気になれず、このままにしておくとゴミになると自分を納得させて、放置してあったテープを全部持ち帰った。
再生できそうなテープは、汚れをふき取ったあと、車の中のコンソールに放り込んでおいた。
あるとき、車の運転中にふとそのテープのことを思い出しかけてみることにした。ユーミンがまだ荒井由美だった頃の曲が車中に流れた。
混雑のない郊外の道路を走りながらかけるユーミンの曲は、爽快なドライブ気分にマッチして聞いていて気持ちのいいものだった。
オーディオ装置での再生の時に気になったちりめんビブラートも、車の走行音にかき消されて問題にはならず、彼女の曲は車内を吹きぬける風のような軽やかさがあった。
曲がリリースされて30年以上経ってから、遅まきながら、その曲のよさがやっと解った。それらの曲のいくつかが、今度のベストアルバムにも収録されている。
さて、そのベストアルバムに収録されている曲名をだしに、ちくりと政治批判した読売新聞のコラム、木曜日と同様、今回も最後の箇所がとても効いている。
大同団結などといいながら、団結前から空中分解。団結がなったところで、呉越同舟のそしりは免れない。その人たちに向けて、「脇役でいいから」とは筆者の批判精神は冴え渡っている。