語彙力とは9

17年前にはできなかった英語の読み方が今はできる。
どうしてできるようになったかを改めて考えてみると、やはり,英語を読む量があるときから格段に増えたことだと思う。
大学受験だとか、各種英検の受験をしていたころの場合、単語や熟語の暗記や、問題集を使った勉強に追われて、ある一定の長さ以上の文章をじっくりと読むことはまったくといっていいほどなかった。
英検などを受験しなくなって,初めて,小説や物語、英文雑誌などの長い文章を読み始めたわけで、それが20年ほど前のことだったと思う。
英語の文章を量でこなすようになったのには,いくつかのきっかけがあった。
そのひとつが英文雑誌、たとえばタイム誌などの記事の内容を,直接英語ネイティブから教えてもらうプライベートレッスンをかなり長い間、続けたことだ。
ネイティブによる解説だから、もちろん英語で行われる。レッスンは一週に一回,2時間。扱う記事はある月のタイム誌の記事、5本から6本。
タイム誌の記事はそれぞれかなりの長さがある。これを5本から6本読まなくてはならないとなると、いちいち日本語に訳していたのでは時間が足らない。
とりあえず、わかりにくいところがあっても、前に読み進めるという習慣がこのときに付いたと思う。
それから、インターネット。翻訳の仕事が受けたときに、資料としてネット上の情報を検索するのだが,私の場合,その情報はほとんどすべて英語の情報だ。
大量の英語の文章の中から、必要な情報を取り出すのに,いちいち日本語に訳していたのでは,納期に間に合うはずがない。
納期という期限が切られた中で,大量の英語を読まなければならないという状況が英語を英語のままで理解する能力の向上に役に立ったことは間違いないと思う。
皮肉なことだが、英語の実力を測るための試験を受けなくなって,単語も覚えなくなってからのほうが、読解能力というか、英語を文脈に沿って普通に理解できる力が付いたわけだ。
英語を読むときに、日本語に訳していないから、英単語を見て,即座にその意味を選択肢から選ぶ能力は、受験をしていたころより、格段に落ちている。
しかし、そうした能力は、一体なんの役に立つのだろうか。
それを語彙力とよぶなら、それはそれでかまわないが、その語彙力は現在、私が英語を理解するときに使う、頭の使い方を身に付けるのに助けになるどころか、かえって邪魔になる。
逆説的な言い方だが、私の場合,語彙力が落ちたから,英語が自然に読めるようになったのだ。