見えるということ#4

望遠鏡の視野に捉えられて見えるはずのハレー彗星が見えないのはなぜか。
納得がいかないまま数日が過ぎ、ハレー彗星は太陽に近づきすぎて、地球からは観測できなくなっていた。
しかし、その後、彗星は太陽から遠ざかり始め、再び観測可能な場所にやって来た。
北半球のかなり緯度の高い場所でも観測できる場所にやって来たので、このときのほうが彗星が太陽に接近するときよりも観察には適していた。
一度観察したので、もういいかとも思ったが、もうこの次はないということで、また、I山の山頂に行ってみることにした。
前回と同じく、山頂遊園地からの下り道を逆走、テレビ塔が林立する場所近くに車を止めた。
彗星は前回の場所とは違う空の一隅に現れるので、観測に適切な場所を探すため、真っ暗な山道を歩いていると、風の音に乗ってなにやら人の声に似た音が混じる。
はて面妖な。こんな真夜中の山中に人の声が、それも一人ではない。ざわざわとした感じの複数の人間がいるような気配だ。
ちょっと怖かったが、そのざわざわとしたような音のする方向に向かって歩き始めた。
真っ暗な林の中を歩いていくと、ざわざわした音がだんだんと大きくなる。木立が途切れて、空の南の方角が見渡せる場所に出た。
真っ暗なその場所のそこここに、たぶん十数人の人の姿、といっても真っ暗なので、人姿のシルエットが、星空を背景に浮かび上がった。
そうなのだ。私と同じように、去り行くハレー彗星を、もう二度と見ることができない太陽系の旅人の後姿を、目に焼き付けておこうという人たちが集まっていたのだ。
それぞれが示し合わせてその場所に集合したわけではない。三々五々、バラバラにやって来て、同じ場所にたどり着いたのだ。
それぞれが思い思いの観測機材を持ってきていた。
バードウォッチング用、または天体観測専用の双眼鏡や単眼鏡を三脚に据えて観測する人が多くいた。
彗星の観測には、私が持って行ったような高倍率の天体望遠鏡より、視野が広範囲な低倍率の双眼鏡のほうが適している。
それはわかっていたが、私は性能の良い双眼鏡は持っていなかった。
単眼鏡を三脚に据えていた人に、ちょっとのぞいていいですかと声をかけた。
「ああ、どうぞ。」と快諾を受けたので、のぞいてみることに。
のぞいてみて驚いた。光学機器で有名なN社製の単眼鏡の視野は広く、そして見える星に滲みが全くなく、解像度は申し分のないものだった。また暗いところと星などの明るい場所とのコントラストが良く、くっきりはっきり。
私の望遠鏡とは性能に雲泥の差があった。
この単眼鏡で見たハレー彗星は、かすかながらたなびく彗星の尾が確認できた。
この見え方だと、前回のゲストの目にもはっきりと見えたはずだ。
うーん観測機材がしょぼすぎたか。とは言うものの、N社の高性能単眼鏡に三脚のセット。一体いくらするんだ。
十分に、去り行くハレー彗星を観測した頃、集まった人たちの中の一人、たぶん中年と思われる女性の声がこう言った。
「この次ハレー彗星が見れるのは76年後なんですよね。皆さん、そのときまたこの場所でお会いしましょう。」
暗闇の中にどっと笑いが起きた。
そこに集まっていた人の中に、たぶん一人も子供はもちろん、20代の若い人もいなかったように思う。
全員が中年以上。となるとハレー彗星の姿が見られるのはそのときが最後。
それが分かっているから、女性の台詞が笑いを誘ったのだ。
真っ暗でお互いの顔さえもはっきり見えない暗闇のなかに、ふしぎな感情の一体感が漂っていた。