見えるということ#6

さて、「見えるはずなのに見えない」に関する3つ目のエピソードは割合最近の出来事。去年の2月か3月の頃の話。
犬のチャックを連れて堤防のいつもの散歩コースに出た。この堤防には、大きな水溜りのできる場所がある。
雨が降るたび、長さが5m、幅3mはある水溜りができ、自転車での犬の散歩にはまことに都合が悪い。
いつもここを通るたび水溜りをなくせばいいのにと思って40年、行政の作業を待っていたらたぶん死ぬまで何の作業も行われることはないだろう。
ということで、自分で水溜りを埋めることにした。
散歩にでるたび、道路わきに落ちているブロックのかけらなどを拾い集めてそれを水溜りに投入。
それを繰り返すこと数ヶ月。塵も積もればというやつで、この水溜りがほぼ埋まりかけた頃だった。
大き目のブロックのかけらは、現場で細かく砕かないといけないので、傍らに連れて行ったチャックを待たせて作業をしていた。
すると、通りかかった人が「その子は秋田犬ですか。」と声をかけてきた。
作業している場所は、河川敷の遊歩道に下りていく坂の上で、その坂を上ってきた人だった。
「あ、この子は雑種です。秋田犬か何か日本犬の血が混じっていることは確かですけど。体つきや、尻尾の巻き方は秋田に似てますね。でも、顔つきがシェパードみたいでしょ。」
「ええ、確かに。以前、家で秋田犬を飼っていて、その子に似ていたもので。」
「実はこの子は、この堤防をちょっと行った、向こうのあのあたりで保護した野犬の子なんです。」
「へぇー、そうなんですか。」
「このあたりを住処にしている野犬がいまして、この子の両親は今も健在で、しかも、川の中州の草むらの中、あの辺りで昼寝しています。」
そうなのだ、そのとき偶然にも、チャックの両親のボスとシーバが川の対岸に続く中州の草むらの中で昼寝の最中だった。
現場に到着したとき、私は直ぐにその事に気がついた。私のいるところから、直線距離にして50mほど。
冬枯れした茶色の草むらの陰に、こげ茶色のものが見えている。さらに、そこから数メートルのところに、ほんの少しだけ、同じくこげ茶色のものがあった。
前者が父親のボス、後者が母親のシーバだった。
「えっ、本当ですか。どこにいるんですか。」
「あのあたりの枯れ草のところに、ちょっと色の濃いこげ茶色のものが見えますが、あれがそうなんです。」そう言って、その場所を指差した。
「エー、良く分かりませんが。」
あれが見えないってどういうわけだ。ちょっとイラついて、もう少し近寄って見られる場所まで、その人を来てもらって、見える状況を細かく説明した。