見えるということ#7

「中洲のの枯れ草が少し盛り上がったようになっているあたりに、茶色く見えるものが見えると思いますが、あれがこの子の父親です。母親のほうはこの方向からだとほとんど見えませんね。」
「ああ、確かに茶色く見えるものがありますが、あれは犬なんですか。」
こう言った男性の表情から、「あれが犬だといわれてもね。」という心の声が聞こえた。
「枯れ草のなかにこげ茶色のものがあり、ピクリとも動かない。形からして犬には到底見えないですね。」と心の中で同意した。
しかし、5年以上もボスのグループの観察を続けた私には、体の半分以上が、枯れ草の陰に隠れていても、背中をこちらに向け、寝そべっているボスがはっきり見えた。
「あれの子供が今ここにいるチャックというこの子なんですけど、一度里子に出したものの、出戻ってきてしまって。以前犬を飼われていたようですけど、良かったらこの子、お譲りしますよ。」
「ああ、いや。今はアパート住まいで犬は飼えないんです。でも、お時間とってもらってありがとうございました。」
そういって、男性は自転車で走り去った。
対象の一部が見えなくても、それをそのものと認識できるのは、パターン認識が機能するからだ。
パターン認識が機能するためには、あらかじめ対象物の基準画像が記憶というデータバンクに登録されていなくてはならない。
基準画像の数が多ければ多いほど、ある特定の場合の観察では、対象がはっきり見えない場合や、一部画像が欠損していても、即座にそれが何かを認識できる。
知覚心理学では、こうした場合を含めて、対象物をそれと認識する心の働きを「知覚の恒常性」と呼んでいる。
下記のサイトでは、こうしたことを専門的に解説している。
http://www1.tecnet.or.jp/edu/Doctor/6.pdf
対象物を長く観察した経験を持つ人が、そうでない人より、早く発見できるのは、単に目がいいからというより、パターン認識のためのデータ量が全く違うからだ。
ただ、このパターン認識は、すばやく対象物を認識するのに有効である一方、ありもしないものが見えてしまうという欠点がある。
人間の赤ちゃんはごく小さいときに、人の顔を認識できるようになる。この働きは大きくなっても消えることはなく、大人でも人の顔に対して同じようなパターン認識をする。
人の顔ではないものでも、目と鼻と口を連想されるものが、一定の形状で見つかると、人はそこに人の顔を見てしまう。
以前、心霊写真なるものを取り上げたテレビ番組をよくやっていた。
そうした番組のひとつを見ていたときのこと、霊能力者という触れ込みでよくそうした番組に登場していたGという女性。
一枚の海辺の白黒写真を取り出し、「これには、この浜辺で水死したたくさんのひとの霊が写っています。」といった。
何の変哲もない海辺の写真だったが、「ほら、ここに、人の顔が見えます。ここにも、そしてこちらにも。」といって、写真の一部に注目するように言うと、スタジオにやってきていた参加者の間から悲鳴が上がった。
単なる波の白黒画像に、人間が誰でも持っているきわめて強力な顔のパターン認識が、人の顔を認識させてしまったわけだ。
一種の暗示と、パターン認識を利用した、要するにトリックに過ぎないのだが、参加者を十分怖がらせることができ、番組としては、成功したようだ。