知性が大事#9

静か過ぎる時間がどのぐらい続いただろうか。程なくしてケンのうちから一人の女性が出てきて、テントの戸口のところから私に声をかけてきた。
どうやらケンの奥さん、つまりマイクの母親のようだった。
顔立ちがどことなくマイクに似ている。マイクは父親のケンより、母親に似たのだろう。
夕食にはちょっと早い時間だけど、夕食を作ったので、食べに来るように誘いに来たのだった。
夕食はヒツジのミンチ肉を炊き込んだもの。見かけは恐ろしく辛そうに見えたが、実際はそれほどでもなく、なかなかの味だった。
ヒツジを飼っているオーストラリアの農家では標準的な夕食だ。
夕食後、居間で少し時間を過ごした後、ケンは明日は早朝から農場での仕事があるというので、早々と自分の部屋に引き取った。
それでは私もということで、早々と庭にあるキャンピングカーに戻った。
農家の朝は早い。次の日の朝、夜がまだ明けないうちにケンのうちのほうから物音がし始めた。
私も農場の仕事を手伝うつもりでいたから、キャンピングカーのベッドから起き上がってデッキチェアに座っていると、ケンの奥さん(名前をベスということにする)が朝食の時間だと知らせに来た。
こうして、私の農場での最初の一日が始まった。
農場での作業は飼っている羊たちをある一定の草地から別の草地へと移動させることが主になる。
そのときに重要な役割を担うのが牧羊犬だ。ケンのうちにもそうした牧洋犬の一頭がいた。
名前は忘れてしまったが、ジョンということにしておこう。
ジョンの農場での働きは目を見張るものがあった。下手な人間の作業員の何人分のもの働きをするようだった。
農場での作業を手伝いになどといっていた自分ができることといっても、ほとんど何もなかったので、これには少々へこんだ。
とは言うものの、羊たちを囲い込むためのフェンスには、あちこち破れなどが生じているので、これを補修するときのくい打ちなどには、ボディビルで鍛えた腕力が少々は役に立ったようだ。
マイクはまだ若く、筋力に乏しかったので、くい打ち作業というような力作業では頼りなかったからだ。
夕日が沈む頃、うちに帰るのだが、家に着くころには、もうくたくた。真夏の太陽が照りつけるオーストラリアの奥地で、10時間近くの作業をするのだ。
今考えると、よく体力が持ったものだと思う。
オーストラリアでは、その当時すでに、"dehydration"という言葉が夏に向けて、盛んに使われていて、その予防のため、出かけるときなど、水筒を忘れずにと言う警告がテレビなどで盛んに放送されていた。
もうひとつオーストラリアでは、日焼け止めを忘れないようにという警告も盛んだった。しかし、私はこの警告を少々甘く考えていたため、太陽に晒される肌のすべてに日焼け止めを塗るということはしなかった。
するとケンのうちで数日過ごした後、ある変化が私の足に現れた。