知性が大事#13

いよいよケンのうちを去る日が来た。ケンの知り合いがカタンニンに帰る日に車に同乗させてもらうことになっていて、その人たち(若いカップルだった)がケンのうちにやって来た。
ケンのうちを去るに当たっては文字通り、滞在期間中の様々な経験が走馬灯のように心の中を次から次と心の中に去来した。
そうした想い出の中から、タイトルの「知性が大事」とは直接関係ないが、二つのエピソードを挙げてみる。
最初は、滞在の始めのころの思い出。
晴れた日曜日だったと思う。農場での作業がないので、朝食の後、庭のテントでくつろいでいたときのことだった。
裏庭の草の中を鮮やかな緑色の蛇が一匹。テントの入り口の前をにょろにょろと這って行く。テントから遠く離れて行き、草むらの中に姿を消した。
その直ぐ後、洗濯物を干しに庭にベスがうちから出てきた。
洗濯物を干し終わる頃、ベスに声をかけた。
「晴れて気分のいい日曜だね。」
この台詞にはわれながら苦笑した。なぜかというと、夏のoutbackに雨なんぞ降ることはまれだからだ。実際滞在期間中、雨は一度も降らなかった。
でも、こんな台詞しか思いつかなかったので仕方がない。
「そうね。」とベス。
ベスは中年に差し掛かったオーストラリア女性には珍しく、ケンと同じくとてもすらりとした女性だった。
しかしこう言っては何だが、あんまり知性の高さを感じさせる人ではなかった。どうもマイクはこの点も母親に似たのだろう。
「さっき裏庭を緑色の蛇が這っていったんだけど、あの蛇は毒蛇なんだろうか?」
「毒蛇?ええ、きっとそうね。蛇はみんな毒があるわ。毒蛇じゃない蛇なんているの?」
毒蛇のところでちょっと怪訝な顔をしたのは、彼女にしてみれば、蛇にはみんな毒がある。だから、その蛇にわざわざ「毒」なんぞという余計な形容詞をつけたことが奇異に感じられたのだろう。
「蛇はこの辺りにたくさんいるの?」
「ええ、いるわ。きのうもおとといもそこらへんで見たわ。」
毒蛇が毎日庭をにょろにょろしている。それをなんとも思わないのだろう。噛まれたらどうするんだ。
「そこらへんをニョロニョロしてるって、噛まれたらどうするの?」
この質問も彼女にしてみればとても変に聞こえたらしい。少し考えて彼女は答えた。
「寝室に行って、ちょっと休むわ。」
「寝室に行って休むって、病院には行かないの?」
「病院はとても遠いし、バダバタとあわてて体を動かしたりしたら、毒が早く体中に回るから、じっとしているのが一番なの。」
この答えにはただでさえくそ暑いオーストラリアの熱気で頭がくらくらしているのに、ますますくらくらした。
実際、施設の整った、つまり抗毒血清を処方できる病院といったら州都パースの病院しかない。そこまではケンの家から600km以上はなれている。
猛毒の蛇に噛まれたら、もうその時点で助かる見込みはない。弱毒の蛇だったら自らの回復力に任せてじっとしているほうがいいのだ。
彼ら農民の先祖たちは毒蛇に噛まれてもじっとしているしかなかったに違いない。ケンたちは蛇の毒に生き残った頑強な農民の子孫なのだ。
おんなじ農民の子孫の私だが、私の先祖で毒蛇に噛まれた先祖などほとんどいないだろうし、また実際に噛まれたとしたら、生き残れなかっただろう。
毒蛇に対する抵抗力が全く違う。
さらに、奥地に行く前に、散々メグ(私のカタンニンでのコーディネーター)に脅かされていたことがある。
それは、オーストラリアは全土が破傷風菌の汚染地域なので、ワクチン接種をしていない人間が外傷を負うと破傷風で死ぬ危険が高いということだった。
オーストラリアに行く前に、そうした情報を知っていれば、もちろんワクチン接種をした上で渡航しただろうが、そんなことはつゆ知らずワクチン接種も受けずにのこのことオーストラリア奥地にやってきてしまった。
あれこれと身に及ぶかもしれない危険を考えると、頭がおかしそうになるので考えるのをやめた。
考えていたら、一歩も動けなくなる。
「やれやれ、大変なところにやってきてしまった。」と心底そう思った。