知性が大事#18

Bremer Bayのキャンプ場で一泊して、マギーとテッドの一家はカタンニンに戻った。
その後、一家はオーストラリア一周の旅に出るという。
一家との一緒の旅がいやでないなら、付いてきても良いと言われたが、私には夏休み中にパースに行ってしたいことがあったので、一家とは別行動をとることにした。
パースへは、工作・技術の先生、ベンと約束していて、車で送ってもらうことになっていた。
マギーの一家が旅立つという同じに日に、こちらもパースへ旅立つことになっていたが、約束の時間にベンが来るかどうか心配だった。
マギーの一家が出発する時間になってもベンがやってこないとなると、どうすればいいのか。
しかし、ベンは時間きっかりにやって来た。日本人なら約束の時間より少々はやめというのが親切あるいは礼儀と考えるが、オーストラリア人はそうではないようだ。
何はともあれ、パースへの足はこれで確保できたわけで、かなりほっとしたことを覚えている。
パースでやりたいこと、それは、ちょっとでも英語力をアップさせるため、民間の語学学校で研修コースを取るということだった。
正直なところ、カタンニン高校で、英語で授業を行うには特に支障はなかった。
しかし、オーストラリア人の教師どうしがしゃべっている内容を横から聞き取るほどの力はなかった。
雑談だから、聞き取れなくても支障はないというものの、孤立感はどうしようもないものだった。
また、雑談でなくても、テレビ番組でも、ニュース番組の聞き取りは問題なくても、ドラマなどになるとかなり難しかった。
せっかくの長期の休みをバカンス気分で過ごすのも悪くはないが、語学力を少しでも向上させたいという気持ちのほうが強かった。
パースにやって来たのは年末だったと思う。
語学学校はフェニックスとい名前の学校で、私がとった研修コースが始まるのが年が明けてからだった。
研修コースが始まってからは学校が斡旋してくれたホームステイ先があったので、そこで滞在することになっていたが、それまではどこか別の場所で滞在する必要があった。
滞在費がバカ高いホテルなどは問題外で、何とか安くで上がる場所はないかと、パースの観光局などをいくつも当たったが、どれも私が予定していた予算で泊まれるようなところはなかった。
最後に頼りにしたのはパースの日本領事館。安く泊まれる宿はないかと、情報を求めに足を向けた。
応対に出たのはかなり年配の日本人女性。こちらの目的を告げると、やんわりと次のように言われた。
「領事館というところは、宿泊所の斡旋をするところではありませんことよ」
丁寧な言葉遣いではあったが、来る場所を間違えていると門前払いを食らわされそうだった。
ここであきらめては、今晩泊まる場所にも難渋する。
「それは重々承知の上です。今晩泊まる場所がありません。何か情報をお持ちであれば、助かります」
この言葉にちょっと同情したのか、次のような返事が返ってきた。
「それはお困りでしょう。領事館の業務内容ではありませんが、ちょっとお待ちください」
そういって、女性は奥に引っ込んだ。しばらくすると、何かをコピーした紙切れをダスターシュートのようなところに放り込んだ。
領事館での提出書類の提出、交付は係員と直接に行うのではない。
防弾ガラス越しに、マイクでやりとりし、書類はダスターシュートのようなところに放り込み、相手方がそれを手を伸ばして拾い上げるのだ。
一体なんだってそんなことになっているかというと、もうその頃すでに、外国領事館を狙ったテロが世界的には頻発していて、そうしたテロを防ぐための防護手段なのだ。
係りの女性が放り込んだコピーをダスターシュートから取り上げてみると、そこにはパースから少し離れたフリーマントルという場所にある「武田荘」の広告があった。
武田荘は日本からやってくる、サーファー、バッグパッカーなどが利用する場所だった。
宿泊費用は格安。ただし食事は自炊。でもまあ、それもいいかということで、電話で予約を入れることにした。
電話をかけてみると、出たのは若い女性。日本語が通じると確か広告にあったのに英語しか通じない。
"Takeda-san is out now, but he'll be back soon."とか何とか。部屋には空きがあるとも言っていたので、直接行ってみることにした。フリーマントルへは鉄道を使うことにした。