関係代名詞の制限(限定)用法について5

マーク・ピーターセンの「日本人の英語」を購入して数年後、その題名を意識したような題名の英文法関連の本を書店の本棚に見つけた。
三部作であることもマーク・ピーターセンの著作に倣っている様だった。筆者はT.D.ミントンという人。
あまり期待せずに、3冊の見出し部分だけをぱらぱらと見ていくと、三作目の「日本人の英文法Ⅲ」に関係代名詞を取り上げた章があり、その内容に期待が持てたので購入した。
関係代名詞の解説はP132からP189に及んでいて、これまで疑問に思っていたことのほとんどが氷解した。
内容が長く,実際にこれを読んで、少なくとも8割がたの理解をしないと関係代名詞の全体像を把握することはできない。
これを読んで思うのは、学校で習う程度のことでは、関係代名詞の何たるかは、全く理解できていないということだ。
「日本人の英語」と「日本人の英文法Ⅲ」の両方から得た理解で、関係代名詞の制限用法だけに限って言えば、制限用法の制限とは、インターネット検索で用いられる「絞込み」と同じだということだ。
ここで、1-Eの文を再掲してみる。
3-E The Nobel prize which I received last year was a great honor.
上記の文で、絞り込み検索に使われる第一ワードが"Nobel prize"だということ。
さらに、それに条件をつけて検索対象を絞り込んでいく。つまり、その絞込みのための検索ワードが、"I"、"received"、それから最後が"last year"の3つ。
検索語が付け加わるにつれ、対象が絞り込まれ、最後の"last year"でたった一つが残る。
たった一つだから、最初に特定のひとつのものの指標である"the"がつくのだ。
「日本人の英語」にあった記述を再掲してみる。

同じ現象を別の角度から見てみたいと思う。日本語では、特別に必要でないかぎりこの(制限用法と非制限用法の)区別はしないようであるが、もしそのために上の使い分けを忘れて、たとえば
「私が去年受賞したノーベル賞はとても光栄でした」
のような日本語を、コンマ抜き(限定用法)で、
The Nobel Prize which I received last year was a great honor.
という英語に直してしまったら、それは今度受賞したノーベル賞は初めてではなく,自分は前にも受賞したことがあることになる。しかも、その英語のニュアンスとしては、「前に受賞したやつはともかく、今度の場合は光栄です。」という響きが多少ともあるので、これは注意すべき点だと思う。いうまでもなく、非制限的関係節にして、次のようにすれば意味は正しく伝わる。
The Nobel Prize, which I received last year, was a great honor.

上記の記述で、「それは今度受賞したノーベル賞は初めてではなく」という部分があるが、これも「制限(限定)」の意味が「絞り込み」だと分かれば、すんなり理解できる。
絞込みが"received"のところまでだと、まだ検索対象がたった一つまで絞り込みきれていないからだ。
つまり、"I"が"received"したノーベル賞は、複数あることになる。
しかし、3-Jの日本語「私が去年,受賞したノーベル賞はとても光栄でした。」の連体修飾色部分、「私が去年、受賞した」には、複数の対象から、絞り込んで、ひとつに特定するというような機能はないから、「私」が過去において複数のノーベル賞を受賞したという理解には至らない。
そもそも、日本人には、対象を絞り込んで確定していくなどという発想がない。
書き手や話し手に話題の対象をけれんなく、確定していく責任がない日本の言語文化においては、書き手や話し手には、そうした発想は起きない。
発想がないところには、それを表現する効率のよい方法が発達するわけもない。
聞き手や、読み手のほうにしても、「…する○○」という表現の「…する」という部分は「○○」に関する情報として重要であっても、それが絞込みの条件になるのは、受け手側の情報量次第だということだ。