関係代名詞の制限(限定)用法について2

制限用法について、詳しく述べる前に、日本語に英語の制限用法に対応するような表現法がないことについて説明しておく。
つぎのいくつかの日本文を見てみる。
1-J 広島に住む叔父がカキを送ってくれた。
2-J これは私が去年,旅行先で買ったお土産です。
3-J 私が去年,受賞したノーベル賞はとても光栄でした。
1.の文では,「広島に住む」が「叔父」を,2.の文では,「私が去年,旅先で買った」が「お土産」を、そして最後の3.の文では,「私が、去年受賞した」が「ノーベル賞」を修飾している。
それぞれの文を関係代名詞の制限用法を使って英訳すると,
1-E My uncle who lives in Hiroshima sent me some oysters.
2-E This is the souvenir I bought last year when I was travelling.
3-E The Nobel prize which I received last year was a great honor.
それぞれの英文は文法的には破綻のないもので,問題ないように思える。
しかし、1-Eの場合、"I"には、複数の叔父がいて、その複数いる叔父のうち、広島住んでいるおじに,対象を限定するという構造になっている。
1-Jのような日本語を、聞き手あるいは読み手が受け取った場合,話し手あるいは書き手の縁戚関係について情報を持っている場合は別にして、「私」には、「叔父」が一人しかいないのか,複数いるのかについては判断のしようがない。
日本では、話し手あるいは書き手が、伝達情容に関して,誤解のないように、十分な情報を提供する責任はなく,聞き手あるいは読み手がそれぞれの理解力や自らが有する情報にしたがって,内容を把握する責任がある。
1-Jの場合も、「私」の縁戚関係の情報を持っている場合、「広島に住む叔父」は「他の場所に住んでいる叔父ではなくて」という意味が出てくるが、その情報を有しないものには、「私」の叔父が一人か複数かは分からないままだ。
つまり、「広島に住む」という情報は、「叔父」に関する付加的情報に過ぎなくなり,英語で言うところの非制限用法として働く。
実際、話し手あるいは書き手は、たとえ複数の叔父がいても,「広島に住んでいる」という表現で対象を制限する意図は全くない。
表現者側の責任が軽い日本の言語文化では,表現者が表現を工夫して、対象を制限する必要などないからだ。
2-Eの場合も同様で、この文の場合,過去においてお土産は去年だけでなく,それまでに少なくとも一度は買ったことがあり,それら複数のお土産の中で,ここにあるのは,去年買ったものだという意味になっている。
1-Jや2-Jの場合、元の日本語と英語では,伝える内容に微妙な違いがあるが,その違いが問題になることはないだろう。
しかし3-Eの場合はどうだろう。3-Jのような表現は、日本人にとってはどこにも問題のない自然なものだ。
しかし、それを英語にしたと思われる3-Eには、元の日本語には含まれない、重大な意味が付け加わっている。そして、日本人はほとんど誰も気がつかない。