さりげないかっこよさ

2月29日付の読売新聞のコラムに次のような記事が出た。ネットでこの記事が出ているか調べたが、なかったので手打ちによる引用。

女のミカタ 佐藤友美子さん


男性にときめくのは


孫ができるような年になると、男性にときめくってことは滅多にない。と思っていたが、
些細なことでときめいた。昨年の夏のことだが、記憶は鮮明だ。
東京のビジネスホテルのエレベーターでのこと。小柄だが精悍な感じの年上らしい男性から「今日も暑そうですね」と声をかけられ、「毎日こう暑いとバテますね」と応じた。
「僕は農業だから、80歳だけれど暑いのは平気なんですよ。それでは気をつけて」
それだけのことだったが、何にときめいたのか。よい距離感のさりげない一言、大人のふるまいにである。日本人の場合、見ず知らずの人間がエレベーターで2人になった時、まずは無視を決め込む。挨拶する外国人は結構いるが、日本人は、せいぜい降りる時に「お先に」と会釈するくらいが関の山だ。
その話を何人かの女友だちにすると、「私もそういう経験ある。飛行機で上の棚に入れた荷物をお手伝いしましょう、と降ろしてくれた人素敵だった」、「仕事仲間の男性が、さりげなく車道側を歩いてくれた時、ときめいた」など、どれもささやかである。しかし、日常的にはほとんどないからこそのときめきとも言える。
最近読んだ黒川伊保子さんの「キレる女懲りない男」(ちくま新書)によると、男性には「察する」「フォローする」という能力がそもそも備わっていないらしい。
欧米社会のレディーファーストという習慣は、男性の責務,ルールとして、小さい時から教育されているからこそ出来るのだそうだ。
夫の教育は今更難しいが,息子や孫には可能性がある。ちょっとした気遣いやさりげない挨拶などが自然な感じで出来れば、きっともてる。それにそんな男子が身近にいれば、な毎日気分がよくなること間違いなしだ。

さりげない大人のふるまいが男性の株を挙げ,もてることにつながるという内容だ。
筆者の女友達の経験にでてきた男性のふるまいも洗練されていてかっこいい。
しかしである。
こうした態度が様になるのは,男性の外見がその女性の審美基準を十分に満たしていたときに限る。
外見の判断はほんの一瞬のことで,一秒もかからないだろう。あまりに短くて、本人もその事に気付かないかもしれない。
このコラムの女性も、声をかけてきた男性の外見をしっかりと見極めていることが内容から読み取れる。
いわく、「小柄、精悍、年上」など。一瞬のうちにこれらを外見から判断し、多分それらが、彼女の好みなり、審美基準を十分に満たした人物であるからこそ、洗練された態度も効果的だったのだ。
ついでに言うと、記述にはなかったが、着ているものや、かけてきたときの声質も審査対象であったに違いない。
これら審査対象が基準を満たしていない人物が、同じ状況で同じ台詞で声をかけてきたとしたらどうだったであろう。
彼女の去年の夏の出来事は、別の意味で鮮明に記憶に刻まれたのではなかろうか。