読売新聞のコラム「小町拝見」から

前回記事のネタにした「発言小町」のすぐ横にあるのが表題のコラム。「発言小町」に掲載される様々な投稿(トピ)をネタにタレントとよぱれるような人が自分の意見を述べるコラムだ。

6月19日付の同コラムになかなかの意見が載った。

執筆者は大久保佳代子さん。記事の最後のカッコに「タレント」とあるが、どういう活動をしている人か私はよく知らない。

それはともかく彼女が付き合い始めて3か月になる彼が、自分のことを「おいら」というのがいやでたまらないという女性のトピを見つけた。

そのトピに対する彼女なりの解決策が傑作だ。コラムを一部抜粋してみる。

(前略)トピ主さんには申し訳ないですが、笑ってしまいました。「江戸っ子かよ!」とか「バカボンのパパか!」とツッコめたらいいのでしょうが、トピ主さん、そこをイジるのは気が引けてしまうようで、結婚相談所で知り合い、結婚を考えているとのことですが、この問題を解決しないままは危険です。これはささいなことではないです。

一人称って少なからず人間性が出ると思います。

「僕」と言う男性は優しいけどたよりがいがないとか。

「俺」は男らしいけど傲慢なところがあるとか。今までであった男性のデータからの印象なのであくまで個人的な見解ですが。 「オイラ」のデータは非常に少ないのですが、「どんな人だと思う?」と聞かれたら「分からないけど何か怪しい」と答えます。分からないと言う感情は不信感につながります。不信感がある人との結婚はダメです。

解決しましょう。「嫌だからやめて」と言うのは、一方的過ぎて彼の自尊心を傷つける可能性があります。

なので「毒をもって毒を制す」で。トピ主さんも自然な感じで「ワシは」と言ってみてはどうでしょう。「ワシはおなかがすいちゃった」とか。突然のことに、彼は恐らく引っかかります。そこで「あなたがオイラって言うから私も」と軽く返し、そこから「オイラ」を使うようになった経緯を探りましょう。

理由が理解できれば「オイラ」が気にならなくなるでしょうし、結婚も前向きに考えられるのでは。でもまったく理解できなかったら、踏みとどまるのもアリだと思います。

自分のことを「オイラ」という男性、その心情が分かるような気がする。

恐らく世の男性すべてにとって、一人称、つまり自分の事をどう呼ぶかは、その男性が中学生、あるいは、高校生あたりで男の子から男性に成長する過程でかなり重要な命題なのだ。

それまで、自分のことを「僕」と呼んでいた僕ちんがある日、突然そう呼べなくなる。

そのきっかけは自分の周りの友達の多くが、もう「ボク」という言葉を使わなくなったり、「ボク」を使う事を周りから冷やかされたりといろいろあるだろうが、いずれにせよ、子供っぽい一人称に戸惑いを感じ始める。

大久保さんのコラムに、一人称にはその人の人間性が出るとあるが、かなりあたっているように思う。

大人になってからも、平気で自分のことを「僕」と言う人間は一人前の男に脱皮できていない印象がある。

かといって、「ボク」を止めて突然「俺」に変えるのも気が引けるし、「俺」にはある種の荒っぽい男の印象があるから、それを使う人間を選ぶところがある。

つまり、「俺」が似合う男とそうではない男が歴然とあり、似合わない男が「俺」などというのも、またぞろ揶揄の対象となりかねない。

トピ主さんの彼は、たぶんこの二者択一の難題に悩んだのだろうと思う。

そこで彼が出した解決策が「オイラ」だったのだろう。「ボク」でも「俺」でもない「オイラ」。バカボンのパパが参考になったのかもしれない。

ちなみに、「私」と言う言葉は、公式の場で使うには、ある程度の年齢に達しないと不自然。また、私的な場面でこれを使うと全然別の意味を持ちかねないので、彼女とのデートのときに使う事は厳禁だ。

「オイラ」を使うようになった理由を聞き出すべく、大久保さんが提案した策。それはトピ主さんが自分のことを「ワシ」と呼ぶようにすること。

実は私自身、高校生のとき、一人称の呼称をどうするかで困っていた。

あるとき、わたしの弟が自分のことを「ワシ」と呼び始めた。彼の部活の仲間の多くが、この一人称をこぞって使い始めたらしく、私もこれはいいと言う事で、「ワシ」を使い始めた。

理由はまさに上記のとおり。それまで「僕」を使っていたが、高校生にもなって「ボクは」といえなくなり、かといって「俺は」などいえるハードボイルドタイプでもなかったから「ワシ」はちょっと古臭いけれど、なんとなく威厳もあり、ちょうどよかったのだ。

トピ主さんが自分自身を「ワシ」と呼ぶのは、ちょっと勇気が要るだろうが、使ったときのインパクトはそれはすごいと思う。なんとも愉快な解決策ではないか。

男性にとって、一人称をどうするかは避けて通れない通過儀礼的なところがあるのだが、女性のほとんどはその事に気が付いていない。

男の子を持つ母親が、子供が自分のことをある日突然、それまで「ママ、ママ」と慕ってくれていたのが、「ママ」と言う言葉使わなくなって戸惑うと言う事があるが、実は一人称の問題とこの問題の根っこは共通しているのだ。