時制のない日本語2

一つの時制表現に一つの時制を対応させることがないのは、ある事実なり、状態を観察する視点が英語のように、現在に固定されず、表現に応じてその視点が時間を表す数直線上を移動するからだ。
次の三つの例文を見てみる。
1. 彼はその会社で働いていたと思った。
2. 彼はその会社で働いていると思った。
3. 彼はその会社で働くと思った。
上記の三つの例文は、何れも、「思った」の時点まで、視点を移動させ、その視点から、「彼」が「働いて」いる時点を眺めている。
例文1ならば、「思った」時点で、彼がその会社で働いていた状況は終了している。例文2は「思った」時点で、彼はその状態を継続中。例文3ならば「思った」時点で、まだ彼はその会社で働いていなかったが、その時点より未来にそうなることを予測したことを意味している。
視点の移動は過去だけでなく、未来に対しても行われる。
英語で言うところの、時や条件を表す副詞節を伴うような文の場合にそれが起こる。
これも例文を挙げてみる。
1. 時間に遅れたら、連絡してください。
2. 時間に遅れるなら、連絡してください。
二つの例文のいずれの場合でも、「遅れる」という事態はまだ発生していない。例文1の場合、まだ発生していないのに、「遅れたら」とするのは、「遅れる」という事態が発生した後まで、視点を移しているからだ。
日本語の上記のような時の扱い方と、英語の時制とは、過去に視点を移す場合に、対応関係がないので、日本語の時を表す表現を直訳的に英語に変換すると、時制が正しくなくなってしまう。
過去に視点が移動している三つの例文を英語にすると次のようになる。
1. I thought he had worked(been working) in Tokyo.
2. I thought he worked(was working) in Tokyo.
3. I thought he would work in Tokyo.
過去への視点の移動の場合には、日本語の時を表す表現と対応しないといったが、それでは未来の場合には対応関係にあるのか。
そのことについてはまた次回に述べる。