見えるということ#2

ハレー彗星が現れるのは真夜中近く。夏の代表的星座のさそり座の尻尾に当たる部分のそのまた下側、地平線に近くにうっすらとその姿を見せるはずだった。
目指すI山の山頂には、山頂遊園地があり、頂上まで車で登れる舗装道がある。しかし、山頂遊園地の営業時間は夕方までで、閉園の一時間前には、のぼり道はゲートが閉まってしまう。
しかし、くだり道は、山頂駐車場で長居をしている人もいる関係で開いたままになっている。
その事を事前に知っていたので、真夜中近くに生徒を乗せて車で出発した。
案の定、遊園地の入り口ゲートを閉まっていたが、その先にあるくだり道にはゲートはなく、そこから一車線しかない道を、頂上目指して逆走した。
この道は時折、暴走族が猛スピードで降りてくる道でもある。逆走は正面衝突の危険をはらんだ極めて危険な行為なので、道路が二車線になる部分に差し掛かるまでの数分間はかなりどきどきした。
遊園地の来客のための駐車場を横に見て、さらにそこから頂上を目指す。
頂上近くにはテレビ各局の放送を発信するテレビ塔が林立している。そうした塔の直ぐ下辺りを通る道の脇に車を止めた。
そこはI山山頂の東側に当たる部分で、そこから、上ってくるさそり座か一望できる場所だった。
その方角には、人口の多い町や都市が全くなく、黒々とした闇が広がっていた。
明かりがひとつもない山中の暗さを知っているだろうか。何しろ、目の前に延ばした自分の手が全く見えない。
持参した懐中電灯を照らして、持ってきた天体望遠鏡をその場で組み立てた。
さて、後はさそり座が上ってくるのを待つだけ。この待つ時間の長いこと。
まあそうは言っても、あらかじめハレー彗星の出現時間は分かっていたので、何時間も待ったわけではない。
出現時間が過ぎて、ハレー彗星を探し始めたが、なかなか見つからない。いくら地平近くが暗くても、空気がそれほど綺麗ではないので、4等級ぐらいしかない彗星を地平近くで見つけるのは至難の業なのだ。
しかし、これもそれほど時間がかからず、天体望遠鏡でその姿を捉えることができた。
その姿は一般に彗星の天文写真として紹介されるハレー彗星とは似ても似つかないものだ。
例えて言うなら、すりガラス越しに見た綿雲だ。彗星を特徴付ける長い尾なんぞ全く見えない。
加えて、天体望遠鏡の視野に捉えた対象は、赤道儀自動追尾装置がないと、どんどん視野から外れていく。
持っていった望遠鏡にそんな高級な装置はついていない。赤道儀どころか、経緯度式の原始的なものだから、追尾が大変。
望遠鏡の視野の端に彗星を捉え、時間とともに視野の真ん中に移動するようにして、一緒に行った生徒に見てみるように言った。
その生徒は、直ぐにはどれが彗星だか分からないようだったが、どのように見えるかを説明すると、「ああ、見えました。全体がぼんやりした雲のような物が見え、だんだんと視野の左下のほうに移動しています。」といった。
それがまさしくハレー彗星だった。
目的だったハレー彗星が見つかり、もう少し観察を続けて、帰ろうかと思い始めていたとき、真っ暗闇の奥から、誰かがこちらに声をかけてきた。
「すいません。ハレー彗星の観察に来られたんですか。」
真っ暗闇で声をかけてきた人物の顔は全く見えなかった。しかし、その声には特に怪しい響きはなかったので、少し驚きはしたものの、直ぐに「そうです。」と返事をした。