8月の声

「○月の声」という表現がある。たとえば今だと「8月の声を聞くと…」といった使い方。

ところで「○月の声」って誰の声なんだろう。

ネット上にある国語辞典gooの「声」の1項目の説明は次のようなもの。

(多く「…のこえを聞く」の形で用いる)年月や季節の、それとわかる感じ。けはい。「五〇の声を聞く」「一二月の声を聞く」

つまり、その月を象徴するかのような事象のどれでも良いから、見たり聞いたりしたときに使う表現のようだ。

わたしのとって8月の声は、暑苦しいクマゼミの鳴き声。朝の早くから鳴き始め、午前中ずっと鳴きづめ。今年はそのうるささが例年に比べ少なく感じる。 

そしてもう一つ。それは太平洋戦争にまつわる行事の報道。その一つがJRのK駅近くの路地で行われる追悼式。

以前にこのことにまつわる記事をこのブログで書いた。

そのときの記事は次のとおり。

 https://katydid2019.hatenablog.com/entry/20140815/1408101904

霊感というのかどうか、私には時折、この記事で書いたような感覚にとらわれる事がある。

さらにもう一つ。この時期になると毎日のように報じられる水の事故。

これに関しても以前にブログで書いたことがある。

その記事は次のとおり。

https://katydid2019.hatenablog.com/entry/20120422/1335073678

この記事の続きとして書いた「澱みのその下で2」と「澱みのその下で3」で書いた記事にはその後日談がある。

「澱みのその下で2」の記事は次のとおり。

https://katydid2019.hatenablog.com/entry/20120423/1335195262

この記事を書いてから数年後、今から2年ほど前の事だ。

たまたまこの記事にある現場を通りかかったところ、40歳後半と思われる女性が、ラーメン屋の出前のときに使う岡持ちのようなものを傍らにおいて何かしている。

このときは動物病院に飼い犬の薬をもらい行くときだった。薬をもらって帰るときにもその女性は同じ場所にいた。

何をしているのかと少し注意してみると、川岸にたたずんで、線香をあげ、祈るようなしぐさをしていた。

岡持ちは線香や花束などを入れて持ち歩くためのものだったのだ。

その場所で誰かが亡くなったことはもう間違いがない。

「澱みのその下で3」で書いたような「ビジョン」として見たとおりの事が起こったかどうかはわからないが、祈りをささげる人の年齢などから見て、亡くなったのがまだ小さい子供だったことは十分にありえる。

私にとっての「8月の声」の一つが、こうした事を思い出させる水の事故の報道だ。