時制のない日本語1

学習会で英作文の指導をしていると、日本語と英語の違いをいつも考えるという癖がついている。
両者の言語的な特性の違いのうち、時制に関する違いは、一般に理解されているより、はるかに大きいと私は考えている。
英作文の場合は、元の日本語を英語のどの時制を使って表すべきかが重要なのだが、実はこれがなかなか難しい。
たとえば、日本語の「〜している」という表現が文中に使われている場合を考えてみる。例文は六つ。
それぞれ「〜している」の部分を英語ではどの時制を使って表せるかをカッコ内に示してある。
1. 彼女は東京で会社勤めをしているものとばかり思っていた。(過去形)
2. 昨日の午後、テレビを見ている とき、宅配便が届いた。(過去進行形)
3. その山には、これまで、5回登っている。(現在完了形)
4. その製品の製造はもう終了している。(現在形または現在完了形)
5. 明日までにその作業は完了している。(未来完了形)
6. 階段を使い、エレベーターはなるべく使わないようにしている。(現在形)
過去から現在、そして未来に至る時間の経過を一つの数直線で表して、その数直線上の一点、または領域ごとに表現を決めてあるのが英語の時制だ。
基準点は現在。時制表現を変えることにより、ある事象なり状態が、現在という時点からどれほど遠いかが示される。
一方の日本語は、たとえば例文1、2見てみると、「〜している」の部分は、すでに過去のことだ。
それにもかかわらず、今現在のことのように「〜している」とするのは、日本語では、英語の時や、条件を表す副詞節、主節の動詞の目的語になっている名詞節に当たる部分を、視点を、それが起きた時点までシフトして、現在の視点で表現するのが普通だからだ。実際の時制は主節の当たる部分で示される。
時制の表現は過去または完了が「〜した、〜していた」、現在が「〜する、〜している」、未来が「する」という風に、3つの局面で示される。
「する」が現在のことも、未来のことも表すことができるから、日本語には、あることが終了しているかいないかの二つの局面しかないともいえる。
この方式では、発生した複数の事象の前後関係を時制表現だけで表すことはできない。発生した時期、日時、あるいは前後関係を表す言葉を文に付け加える必要がある。
英語のように、動詞の時制だけで、時を表す数直線上の位置が決まるものを時制と呼ぶなら、日本語には時制がないことになる。
日本語方式を日本語流の時制と呼べないことはないが、その場合でも英語の時制と、日本語の時制は異質のもので、対応関係はまったくない。
例文1〜6を見れば解るように、「〜している」で表現される部分が、英語の時制では、過去、現在、未来の全ての領域に散らばっていて、時制表現を英単語の暗記に使うような、「〜している」ならbe動詞の現在形+動詞の進行形に置き換えるというような一対一の対応関係で処理することはできない。